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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

孤児の幸福の見つけ方とは

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(出典:https://levlalev.com/wp-content/uploads/2017/05/orphan-girl-crying.jpg

幸福は自分次第、つまり心持ち次第だとは、頭ではわかるけれど、

実際のところどんなに頑張っても幸せだと感じれない時もたくさんある。

努力が報われない時。

子供が反抗する時。

家庭や職場に問題がある時。

自分が病気の時。

家族が病気の時。

仕事を失った時。

つまり自分の人生がうまく行っていないと感じる時であり、

現状がこれからも続き、希望が持てないと感じる時に、人は不幸だと感じるのではないだろうか。

 

でも多分人生とはこういう風にできているのだと思う。

どこを探しても、理想的な人生を生きている人はいないと確信している。

たとえ外側はそう見えたとしても、そんな完全な人生は存在しないのではないだろうか。

 

だからまず最初にその現実を受け入れることが大切ではないかなあと思う。

ジタバタしてもどうしようもない時もあるのだから。

************************

私は、4歳の時に両親がいきなり亡くなってしまった。

その後引き取ってくれるような親戚は現れず、私は孤児と呼ばれる運命を歩むことになった。そのため、里親制度と養護施設というシステムの中で子供時代を過ごした。

まさにジタバタしてもどうしようもない状況だったのだ。

 

養護施設に入所してから自分の生活が学校の同級生とははるかに違うことがわかってきた。でも「普通の」子供たちがすごく羨ましいと思ったことはおそらくないと思う。ただ惨めさを時々は感じてはいた。

例えば「いつも同じ服を着ているね」などとからかわれたり、活動に必要なものを揃えるお金がなくて恥をかいたりはあった。環境が違うので同級生と話が合わなく違和感を感じたこともあった。どうやって自分の境遇を隠すか、といつも神経を尖らせていた。

あの当時の養護施設では、服や靴は年に二回支給されていた。子供の足はすぐ大きくなるので、通常履ける靴は一足しかなく、濡れるとおしまいで代わりがない。翌日も濡れたままの靴を学校に履いていくこともあった。食事以外は全部自分たちでした。職員の方々はそれなりに思いやりのある方がほとんどだったが、児童虐待は普通で、そこに愛というものが存在しているとは感じたことはなかった。それでも住むところがあり食べ物を与えてくれて学校にも通わせくれてありがたく思っていた。ただ精神的に辛かったのだと思う。

 

子供にとって「天涯孤独」という言葉は大変怖いもので、私はそんな境遇にあって、どうやって人生を切り開いていくか考えるだけでも圧倒されそうに感じていた。

だからひたすら希望を捨てないで生きていこうと自分に言い聞かせていた。それでも、不安に打ちのめされそうになったり、変えられない境遇に悔しくてよくメソメソと泣いていたものだ。

でもある日、泣き腫らした自分の顔を鏡で見て、そんな風にいつも泣いている自分に嫌気がさしたのだ。その日勇気を奮い起こして、ずっとこんな風に惨めなままで人生を終わりにしてはなるものか、と心に固く誓った。でもどうやって人生を変えていくのか。その方法は全くわからなかった。ただ決心だけをしたのだ。いつか必ず変えてみせる、と。それは根拠ゼロの子供っぽい希望でしかなかった。けれでも私には、この希望という極めて抽象的な言葉だけを頼りに生きていくしかなかった。

トンネルの先には光が見える、とよく言われるが、私のトンネルには光は見えなかった。だから想像上の光を見るふりをしたのである。つまり幻覚である。その幻覚がまさに私の希望だった。

***********************

人は経験を積むためにこの世に生まれてきたわけだけれど、苦しみが全くない楽しく楽な経験だけの人生を望むならがっかりすることだらけだと思う。

確かにそのような楽な人生を一般的に人は「幸福な人生」と呼ぶけれど、まず有りえないのではないか。本当にそんな人がいるなら是非お目にかかりたいと思う。

 

幸福は自分の心持ち次第というのは確かに正しい考え方だけれども、現実は厳しい。

思うに、あるとすれば、その心持ちとはこういうことかもしれない。

つまり、希望を持つことであると思う。

希望さえあれば、辛い中にあっても小さな幸福感を見いだせる。希望さえあれば、せめて今日の一日は乗り越えられると思える。

だから、いつかどうにかなる!と自分にいいかせることによって、その一瞬の不幸感を軽くすることは可能かもしれない。

それが「心持ち」かもしれない。

 

幸福は自分自身の中にあるということは、自分の心の中にあるという意味。

だから幸せであるという心の気持ち、つまりそういう心持ちを心がけて日々を過ごせば明るく生きていけるように思う。

 

私は自分の置かれた境遇を受け入れるしかなく、その中でどうにか生き延びることだけが当初の目標だった。その後、そんな目標では到底幸せを感じることは不可能で、生き延びるどころか、その日だけの悲しみを通り抜けることさえも困難になってきてしまった。

だから、見えないけれど遠くに希望の光があることを想像してその光を見ながら前進するしかなかった。希望は幸福への入り口であると思う。

***********************

希望があれば、今日の分の落胆や悲しみは乗り越えることが可能だと思います。

そして明日が来た時には、明日の分の試練を希望を持って乗り越えればいいのだと思います。

それが幸福感をもたらしてくれると思います。

 

たとえ食物に事欠くことがなくとも、

希望がなくては生きていくことはできないですよね。

 今日も希望を持って生きるぞ〜〜〜〜!

皆さんもね。

 

 

 

 

 

「良いお年になりますように」と言うけれどそれって本心?

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(出典:https://images.myguide-cdn.com/algarve/events/large/new-years-eve-in-albufeira-albufeira-carpe-nox-623391.jpg

お正月の決まり文句として、

 

日本では、

「よいお年になりますように。」または

「よいお年になるといいですね。」

で、

 

英語圏では、

I wish you a wonderful year!

と言うのが常だけれど、

これって本心から言っていることなのだろうか?

察するに、相手にとっての「よいお年」を意図しているのであろうが、

本当はどうなのか?

 

いい習慣ではあるけれど、

やっぱりただの挨拶にちがいない。

でも相手の幸せを本当に願って言っている場合もある。

確かにその言葉からはいい波動が出ている。

 

言われた本人は

「そうだね。よい年になるといいな」

と希望で胸が満たされる。

 

でもその一年後。

果たしてその「よいお年」は成就されたのだろうか?

 

わたしが思うに、

この「なります様に」とか「なるといいですね」と言う表現は

ものすごく他力本願に聞こえる。

誰かに「よいお年」にしてもらうように願っている感じだ。

また一体、何が起きれば「よいお年」なのか?

すごく曖昧。

漠然としていてつかみどころがない、

とは誰も考えていないのだろうか?

 

この「よいお年」の概念はなんなのか?

この新しい年がどうなって欲しいのか?

そのために自分ができることはなんなのか?

 

これが正しい考え方であると思う。

これなら一年の終わりに、「よい年であった」と言えるだろう。

 

友人のヘイリーは、結婚願望がずっとあるが、今も独身である(今は50歳くらい)。

誰が見てもとても上品で良妻賢母タイプの女性であると思う。

 

彼女は、

宇宙に自分の意志を伝えれば宇宙が必要なものをくださる、と言う宇宙の引き寄せの法則を信じている。

それは確かに有り得る。

彼女の問題は、宇宙にお願い(つまり神頼み)だけして自分は何もしないことだ。

ただ待っているだけ。

いきなりどこかからその理想の男性が自分の目の前に現れると信じて疑わない。

実際、過去にないことはなかった。

でもその男性が、宇宙がめぐり合わせてくれた人だとは思っていなかったようだ。

大体にして彼女は内向的な性格で、自分から探すとかアプローチとかはまずありえない。だから相手が強いタイプでないと何も進まない。でもそういうガンガンの肉食男子は好みでないらしい。

要するに理想が高すぎる!

この年で白馬の王子様を今も待っている。

そうただ待っている。

はっきり言って、白馬の王子様なら、もっと若い女性で候補など捨てるくらいいるでしょう。だからそんなのは負け戦に決まっているのだ。

自分の足元を見るべし!!!!

 

流行りの引き寄せの法則だが、

願っているだけでは波動は弱い。願っているだけで物事が起きるのは地球の外の話。

この地球の周波数は宇宙のそれよりはるかに弱い。

弱いから人間が住めるのだ。

周波数が弱いから、自分の力と努力で夢を達成できるように行動を起こさないと何も進まない。

強く思い行動を起こせば起こすほど波動が強まると言うカラクリだ。

だから棚からぼた餅は滅多にない。

 

確かに願ってもいないのに偶然にすごくいいことが起きることもある。でもそういう人は、人が見ていないところでコツコツとものすごい努力をしているものだ。娘がそういうタイプだ。彼女は同級生が「人生を謳歌している間」に部屋にこもって自分の技術を磨いていた。それをたまたま、ある人が見ていて仕事の声がかかったのだ。

まだ大学生だが既に周りが羨むような仕事があり、特に「チャンスを見つけに行く」努力はしていないが、なぜかあちらからやってくるようだ。不思議。でも彼女は自分のすべきことはあらかじめやっていたわけなので努力なしで捕まえたわけではない。

 

夫が子供たちにいつも言っている言葉にこんなのがある。

(でも・・・息子たちは父親の言うことなど無視。😞)

「成功とは「準備」が「機会」と巡りあうことを言う。」

(Success is where preparation meets opportunity.)

 

今更言わずとも知れたことだが、

今は見えなくとも、それが起こると信じて日々小さな努力を怠らない人に成功がやってきて、「良い年」つまり実りのある年がやってくるのだ。そういう人は往往にして強くはっきりとしたフォーカスがあり、その強い意志は天にも届きやすい。波動が強いのだ。だから天も味方をしてくれるのだろう。(だから最初に必要なのは何がしたいのかはっきりさせることで、次は熱望すること。そして行動。)

目標も方向性もゼロでただ単に「よい年」を願っても、宇宙も何をあげていいかわからないではないか。具体的であればあるほど宇宙も味方をしてくれるのだ。

夢を語っているだけの人には宇宙の助けはあまり期待できない。

これができなければ、「僕は生きていれない!」くらいの熱望があれば宇宙にその希望は届く。

やっぱり家で自己啓発の本を山ほど読んでいても行動が伴わなければ何も起きない。

 

何が起これば「よい年」かをはっきりさせ、

新年の抱負はより具体的な達成可能なものにしましょう。

そうすればあなたの期待する「よいお年」に必ずなるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

幸福への第二の鍵:幸福は自分自身の中にある

 

 

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(出典:https://cdn.quotesgram.com/img/71/34/1238889810-very-little-is-needed-to-make-a-happy-life-it-is-all-within-yourself-in-you-way-of-thinking-570235.jpg

幸福への第二の鍵:

  幸福は自分自身の中にある。

  自分の選び次第。

*****************************

 

幸福は一般的に自分が見えるところにあるが、そこには落とし穴も存在する。

それではどんなものがあるであろうか。

最も分かりやすい幸福に至る道は下記が挙げられる。

 

1. 家族や友達

家族や友達と助け合いながら仲良くやって行けるなら、人生は完成に近いと思う人は沢山いる。けれどもその家族や友達を失うこともある。もしこれに自分の幸福を委ねるなら、その時には幸福は消えてしまうということになる。

 

2.

多くの人にとって富と幸福は類語である。裕福になるという目標を掲げることに問題があるわけではない。でもそれにも限界がある。富を一夜にして失うこともある。そういう恐れから完全に逃れることも難しい。ただ富が優先順位の一番になることが問題になるのではないだろうか。

 

3. 社会的地位

社会的地位が伴うと往往にして責任も増え、対応しないといけない課題も増加する。権力を間違って使ってしまうこともあり、周りからの中傷も多い。その地位を横取りしようと狙っている人もいる。よって心配事は尽きない。首相や大統領のストレスは測りきれないレベルであると容易に予測できる。だから社会的に地位があっても幸福とは限らない。

 

4. 高学歴

学歴が低いと自分で思っている人は、それを気にして劣等感に悩まされることもある。だから学歴が高ければ幸福になれるような錯覚を覚えてしまうこともありうる。

ちなみに、私の夫は大学教授で博士号を持っている。幸福かというとなんとも言えない。仕事量は想像がつかないほど多い。会社員の方は週末に休みが取れるが、夫は週7日労働で朝の7時から夜の11時まで働きっぱなしである。パワハラ学部長の下で嫌な思いをしてひたすら耐える日々だ。妻の私は何もできないので、ただ、多忙な彼を邪魔しないように努めている。

 

博士号の達成感は博士号を授与された時にありその時は幸福感と希望に溢れていた。でもそれは長続きせず、現実があっという間に彼のやる気と幸福感を潰してしまった。

だから一刻も早く退職することだけを希望に仕事をしているのである。その対策の一つとして、最近コンピューターにログインするときのパスワードを退職予定日に変えたらしい。それをタイプするたびに笑顔になると言っていた。夫を見ている限りでは学歴は幸福に全く関係ないと思う。学歴と幸福を天秤で比べて見るなら同じにはなっていないことは明らかだ。ほんとすごい可哀想・・・。

 

5. 名声

通常、名声度が上がれば上がるほどプライバシーが下降する。でも常に有名でいなければ、スターダムから蹴落とされてしまう。そのような恐怖感から逃れるためには余程の強い精神力がないといけない。プロのスポーツ選手も負ければ、コテンパンに叩かれ嫌な思いをする。有名であるということは、敵が多くいることになる。恥も沢山かくだろう。本当に幸せなのだろうか。

確かに有名人は、富、魅力、高価でおしゃれな車、豪華な家など幸福を象徴するものをもっている。しかし、その名声の下には、米国の例でいくなら、麻薬中毒症、子供の問題、結婚の破綻、浮気などの噂でも有名だ。

 

6. 娯楽

多くの人が娯楽に幸福を見出そうとしている。けれども娯楽と幸福には実は共通点はない。娯楽などの楽しみは短期間しか続かないものだが、反対に幸福というものは長期にわたり意義深い感情を伴っているものだ。

確かに娯楽はリラックス効果を持つ。しかしそれは自分の抱えている問題からの「逃避」であり、「一時的に忘れる」ための格好な逃げ道でもある。

楽しい映画を観た後に問題が消えているわけではなく映画の前と何も変わってはいない。それは肯定的な影響が「楽しみ」が続く限りは続いているだけで、本当の意味での幸福感をもたらすことはできないからだ。

 

まとめ

多くの人にとって将来はわからないものだ。

社会には大きな問題が存在する。物価上昇、インフレーション、就職難、経済危機、災害、自然破壊、テロリズム、自国および国際社会の闘争不和、難民問題、家庭問題、貧困、飢饉、犯罪、その他の危機問題は、希望を奪い、代わりに絶望をもたらす。

これらの問題に解決策があるのだろうか。多くの場合は「深い挫折」という解決しかない。そのため残念なことに、問題から退き無関心になる人が多くいる。また他の人は、次に何が起こるかなどはどうでも良いことになり諦めの境地に至る。

それはもう既にできることは全部やってみたが、何の結果も得られなかったからである。

 

こんなひどい状況でも幸福感を得ることはできるのだろうか?

できる人もいる。

ただそういう人は考え方が違うようだ。

彼らはこんな風に考えている。

 

自分の周りで起きていることは

ほとんどの場合は

自分にはコントロールできないものなのだ。

でもそれに対してどのように反応するかは

自分でコントロールできる範囲にある。

 

簡単に言うなら、

たとえ困難の真っ最中にあろうとも、幸福感を感じることは可能である。

もし自分がそれを本当に欲するならばの話だが。

 

だから、人生とは自分次第。

幸せも自分次第。

ということは誰でも幸福になれるということなのだ!

 

幸福とは、

周りで起きていることとは関係なく

自分の内面に見つけられるもの。

自分の選び次第!

自分が幸福感を選ぶなら幸福になれる。

 

 

 

日本ならではの掃除哲学

 

 

 

 

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Girl Sweeping. William McGregor Paxton, 1912, Pennsylvania Academy of the Fine Arts.(出典:https://parabola.org/2017/04/29/the-art-of-cleaning-by-llewellyn-vaughan-lee-and-hilary-hart/

日本はもうそろそろ大掃除の季節。

それとは異なり、アメリカは大掃除は年末には通常しないことになっている。

特に北部は寒いので、窓を全開して空気の循環を図る!など、

よほど勇気のある人でないと無理。

だから年末の大掃除はここではなし。

 

その代わりに大掃除は昔からの習慣で通常春に実施することになっている。

その一つの理由は、暖炉の使用が終わるころだからである。

 

でも我が家では一応大掃除まではいかなくともこの時期に普段より念入りにするようにしている。

その理由はやはり日本の掃除哲学に惚れ込んでいるからだ。

そしてこの掃除を哲学の領域まで高めたのは日本人が初めてだと確信している。

 

昨年の汚れを取り払い新たな気持ちで新しい年を迎える。

その綺麗になった家に神様をお招きする。

このような概念に感銘を受ける人は一人ではないはずだ。

 

汚い場所には滞ったエネルギーが流れている。

反対に、綺麗に掃除が行き届いた家には高いエネルギーが流れ、

高質のエネルギーの流れる環境は健康や精神にも影響を及ぼす。

人の魂も清浄されるように感じる。

 

掃除はセラピーでもあると思う。

瞑想でもある。

現に、お寺の僧侶の方々も朝早く掃除をするが、

それは瞑想であり修行の一部であるらしい。

同じように、

一般の人が自分の家を磨くことも、地面を履き清めることも、

瞑想であり修行であるように思う。

 

家を掃除すると、空気が浄化され、見た目にも整然とし、そのことにより心も浄化され整然と真っ直ぐな生き方を心がけるようになるように感じる。

 

私にとって環境を綺麗にするという作業は、

自分自身の心の垢や曇りを取り除いていることでもある。

ただ長生きすればするほど、この垢や曇りも生半可ではなくちょっとやそっとの掃除では済まされなさそうだ。

 

黙って

ただひたすら

掃いて、拭いて、吸い取って、ゴシゴシこすって。

綺麗になった暁には

心もスーとして

晴れやかになる。

不安も消える。

軽くなる。

マインドフルネスの空気

心をさらう。

 

 

 

 

1円でできること

財政管理能力

お金を使うことは確かに楽しい。

一時的な喜びをもたらしてくれる。

ただお金を使う事が最大の趣味で喜びだと思っている人は問題があるのではないだろうか。

さらに、このくらいいいか、と思っていてもチリも積もれば山となるので、後々が怖い。

 

使い過ぎや買い物依存症は心の問題である。

自分の中の空虚さを埋めるために物を買い、

物で自分の心を満たそうとするのだ。

果たしてそれでいいいのだろうか?

 

少ない収入でも自制できる人は貯蓄を心がけ、後々必ず大きな違いが出る、というのは今更言われるようなことではない。いつの時代でもどこの文化でも言われていること。

反対にいくら稼いでも、自制が無い人は、結果的に前者より貧乏になる確率が高い。

アメリカのプロのアスリーツなどは短期間で大金持ちになり華やかな生活を営む一方、財政管理を怠る人が多くいる。かといってずっと現役でアスリートを続けられるわけではない。そのため資産はあっという間に底をつき、それなのに生活水準を落とす気はさらさらないので、今度は借金で首が回らないようになっていく。

確かに、収入は多ければ多い方がいいかもしれない。

でもいくら稼ぐかよりこの財政管理能力の方が大切ではないだろうか。

 

1円でできること

英語圏に「ペニーをおろそかにする人はペニーで困るようになる」ということわざがある。

1ペニーは1円にあたる。

たかが1円されど1円。

1円を大切にする人はケチなのではなくて賢明な人なのだ。

その1円で人の命が助かることもある。

 

  • まずは、ユニセフに1円募金したらどんなことが可能なのだろうか。

1.はしかやビタミンA欠乏症による合併症を予防したり治療したりするためにビタミンAカプセルを1錠支給することができる。

2.1円×6回
6円で急性下痢症による脱水症状から子供の命を守るために経口補水塩1袋と安全な水を支給することができる。

3.1円×12回
12円でポリオ経口ワクチン1回分を支給することができる。

4.1円×48回
48円で4~5リットルの水を浄化することが出来る浄化剤を50錠支給することができる。

5.1円×79回
79円で子供二人分の鉛筆とノートを支給することができる。

(出典:ユニセフ募金 1円でできることはたくさんあります!https://matome.naver.jp/odai/2150367212010047201)

 

  • さらに、100円なら何が買えるか?

ペルーではマンゴ1キロが買える。

フィリピンではレストランでのフルコース一食分になる。

 

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ヤギをもらって喜ぶ子供。(出典:https://donate.worldvision.org/give/animal-agriculture-fund
  • 1万円(110ドル)ならヤギを一頭買ってあげれる。その一頭は家族にミルクを提供し収入減にもなる。

https://www.compassion.com/catalog/donate-a-goat-charity-gift.htm

 

世界は貧しい

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ホームレスの兄弟。(出典:http://www.asianews.it/news-en/Rajshahi:-Caritas-stands-by-the-poor-and-disabled-with-blankets-and-winter-clothing-36414.html

驚くことに、世界には1日1.9ドル(≒200円)以下で生活する人が実際7億人もいる!

世界196の国・地域のうち146国、つまり全世界の約74%が“途上国”と呼ばれている!

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/about/oda/page22_000783.html

 

また世界では1分間に17人が飢餓の原因で死んでいる。

https://jifh.org/pdf/joinus_plan/plan01.pdf

 

もし貴方がどうでもいいことにお金を使いたくなったら、

自動販売機で缶ビールやタバコでも買いたくなったら、

まともな教育も受けれず、おなかをすかせ、生死をさまよっている途上国の子供たちのことを頭に浮かべて欲しい。

そして貴方がどうでもいいと思っている1円を彼らに是非送って欲しい。

 

もし彼らのことがたとえ一瞬でもあなたの頭の片隅をよぎるなら

あなたは容易に自制をすることができるようになるでしょう。

 

最後にもう一つ。

苦しんでいる人のことを心にかけてあげることこそが

”本当のクリスマスの心”なのです。

そして他の人のために生きることが自分の幸福への道なのです。

 

Merry Christmas to ALL!

 

 

 

幸福への第一の鍵:シンプルな物に感謝し自分の欲求を管理する

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靴磨きの少年は貧乏だけど幸せ。この少年と比べてみてあなたはどのくらい恵まれているのだろうか?この少年のように心から笑うことができるだろうか?(出典:https://i.pinimg.com/originals/ea/5c/d1/ea5cd13add4f81745c270634ef95a535.jpg

今世界中の多くの国々はクリスマスのイルミネーションで一杯で街は賑わいを見せていることだろう。多くのプレゼントが買われそれが愛と幸福を象徴しているかのごとくにも見える。誰もがどんなプレゼントをもらえるかとても楽しみにしている。

そのためか、クリスマスの季節は確かに幸福感で満ちている。

とてもウキウキする季節なのだ。

望みを叶える時、叶えてもらう時でもある。

 

ものに限らず、何かの望みを叶えられることイコール幸福だという考えの人は多くいる。実は当のわたしもそう勘違いしている時が多々ある。

だがこれは、手に入れられなければ不幸ということを意味することにもなりかねやすい。

さらに悪いことに、叶えられない望みというのは無くなることはない。雑誌やネットや様々なメデイアにさらされることにより望みの数は無くなるどころかどんどん増えて行く。それには終わりというものはない。そして人生がただ単に願望を満たすための果てし無いレースと化してしまっている場合も多い。

 

ではもしそうやってずっと生きて行くならどうなるのだろうか。

実際、時間が経つに従って叶えられなかった望みも増える傾向にある。だから年をとるごとに挫折感にさいなやまされ、自分は本当に不幸だと思うようになる人もいる。

 

だからまず初めに、

自分の欲しているものがただ単に「願望」なのか「必要」なのかを見分けることが必要になってくる。優先順位を決めるということだ。

例として、幸福に生きて行くためには、豪華で誰もが羨むような家が必要なわけではない。でも愛の溢れる家は必要だ。

 

これは何も望ます楽しみを完全に無視して

清貧に生きるということではない

でも「満足する」という心がけは幸福においての核心であるとも思うのだ。

もし望むことが肯定的な結果につながればそれは得るにふさわしいと見て良いと思う。

自分を成長させてくれ人生に意義を与えてくれるものなら良い。

つまり、自分の望むことや物を得るプロセスにおいて幸福や達成感をもたらすならそれはOKということだ。問題は理性が全く伴わない選びであって、それは幸福に蓋をかぶせてしまうことになりかねない。

 

幸福とは、究極的には個人的な決断だと思う。

わたしたちは自分の人生に責任があり、他の誰でもなく自分自身が自分の人生を担当している。だから本当の意味で幸せになりたいなら、よくよく自分の願望や欲求に関して考えないといけないのではないだろうか。

往往にして、特に先進国では幸福になるためのものはいつも十分にあるのに、それを忘れている。物質的な物をとるなら、実際はどんなに少なかろうとも(衣食住が足りているなら)それはあまり幸せとは関係がない。

問題は自分の所有するものにどれほど満足しているかによって幸福度が変わるのだ。

ずっと「足りないものだけ」に焦点を置き、自分のはるか現状以上を望み続けることでは本当の意味で幸福にはなれないのではないだろうか。

 

だから幸福になるために第一の鍵は、

シンプルなものに感謝し自分の欲求を管理する。

真の幸福とは一見見過ごしてしまいそうなシンプルなものの中にあるからだ。

 

 

幸福とは何か?

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(出典:https://www.beliefnet.com/wellness/galleries/8-habits-of-unhappy-people-and-how-to-avoid-them.aspx

人は人生で三つのことを渇望する。

すなわち、幸福、自由、そして心の平安。

もし貴方が幸福でないなら、心の自由も平安もおそらくないであろう。

そして心の平安や自由がなければ幸福もない。

この三つの要素は全て関連しているからである。

 

では今回は幸福について考えてみよう。

英国では幸福が生きる上で何よりも重要な要素だと大多数の人が言っている。

お金や健康よりも重要らしい。

それではその最も重要な幸福とはなんだろうか?

まず初めに様々な定義を見てみよう。

 

「幸福とは、 人生を全体的にどのくらいよく思っているかを判断する個人的な尺度のこと。」ルート・ベーンホーベン

「自分の境遇に対する満足感。」オックスフォード辞書

「 喜ばしい気持ちの長期的な継続状態。」ウィキペディア

「幸福とはそれ自体が人生の意味であり人生の目的であり、人類の存在目的の全てであり究極的な意味である。」アリストテレス

「ドパミンが欲求に関連しているため、快楽と深く結びついている様に見受けられる」

科学的解明

 

以上から分かる様に、幸福とは何か嬉しい気持ちや満足感のことを意味しており、人生の存在目的の全てであるというのだ。そして快楽などの幸福と類似した感情とも解釈されることもある。

 

貴方は幸福とは何だと思うだろうか?

もし自分が幸福でないと感じるなら、それはなぜか、自分の心を凝視してみることをお勧めする。

なぜなら、ただ単に「不幸せだ」と言ってみても解決策は見つけられないからである。

自分の心に今聞いてみることだ。できるなら声に出して。

 

「なぜ幸福でないと感じるのですか?」

「何がそのような気持ちにさせるのですか?」

「その気持ちの始まりは一体どこから来ていると思いますか?」と

 

大切なことは

その時、自分に正直にならないといけない。

もし日頃から自分の本心に正直でなく本当の気持ちが表面に現れそうになるとそれを無理やり底深い部分に押し込め、あたかもそんなものはないかのごとく生きてきた人にとっては難しいことかもしれない。

でもそれなら

なおさら聞いてほしい。

奥深い無意識という部分に葬られている貴方の本当の気持ちを。

その気持ちを解き放って欲しいのだ。

そしてそれをどこかに書き留めて欲しい。

最後に自分が書いたものをじっと見つめて欲しい。

何も考えなくてもいい。

それが今日の宿題だ。

冬至に思うこと

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(出典:https://www.express.co.uk/news/science/1060065/winter-solstice-2018-what-is-when-is-winter-solstice-date-2018-shortest-day-of-year

12月21日は冬至(とうじ)。

今日は一年で一番暗い日。

自分の中の暗闇を呼び覚ます日。

冬の贈り物を体中に感じる日。

 

冬はのんびりすることを許してくれる季節。

グツグツとじんわり自分を煮詰める時。

聖なる祭りの贈り物とゆるると交わる時。

 

人を取り巻く宇宙の神秘について沈思する時

人類の祖先は季節の祭りに深い知恵を見出した。

彼らはマクロコスモ中の人類の位置についてわかっていた。

より大きな実態のなかの一部分である人類の役割について理解していた。

全ての祭りは自分たちの住処である惑星との結びつきを示す標識。

人類の崇高な霊性との結びつきを示す標識。

 

冬至。

Solstice.

太陽が最も南に到達する時。

北半球では 太陽が顔を出す時間が一年で一番短い。

暗闇が光を負かす時。

太陽が待ち焦がれていた空の旅に出かける時。

翌月から光がほんの少しずつ戻ってきて再び君臨する。

全ての生きるものの生命に希望を与える時が訪れる。

 

夏至を過ぎると、人は心の奥底に近づいていこうとする。

徐々に

薄紙を外すように

心の暗闇を見つめ

人間という存在の神秘に引き込まれていく。

この休憩と探究の中、人は命の本質に気づく。

命は弱く、尊く、はかない。

そして暗闇は

自分の心の在処についてもう一度よく見直すよう人に語りかける。

 

冬至で人は生まれ変わる。

霊的な目覚めの時。

自分の霊的なルーツを理解する時。

太陽が生まれ変わるとともに

人が神聖な属性に生まれ変わる時。

 

人の本質は実は霊的な存在で、ただ人間としての経験をしているだけ。

人は光であり旅をしているだけ。

月や太陽と同じように、季節をぐるぐると繰り返し周っているだけ。

生まれて死んで、また生まれて死んで。

ただそれの繰り返し。

この星で自己の存在の意味を探して

繭のレースを一枚一枚脱ぎ落としながら

新しい気付きに向かって再生されていく。

本来の自分に戻っていく。

 

冬至に思う。

人の生きる目的を。

幸福な人はどこにいるの?

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ウィンドーショッピング。(出典:https://www.commonsensemedia.org/movie-reviews/last-christmas)

アメリカではいよいよ一年の最大のお祭りであるクリスマスも間近に迫り、大人も子供たちもソワソワした気持ちを隠すことが出来ない今日この頃だ。

そして、今週末がクリスマス前の最後の買い物ラッシュアワーのため小売業も輸送業界も目を見張る忙しさとなるだろう。

ご存知のように、クリスマスは英語でChristmasと書かれキリスト降誕祭を意味する。Masはmassの簡略形で、その語源はKneaded doughつまり「練られたパン生地」だが、その後、パン生地の塊から「多量」や「まとまった量」を意味するようになり、最後に、公共の集まりなどの多数の人が集まる集会も意味するようになった。マスメディアなどの言葉もここから発祥している。従って、クリスマスとはキリスト降誕を大勢の人で祝う祭という意味になる。

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(出典:http://4-designer.com/2013/05/Beautiful-Christmas-greeting-card-background-03-vector-material/#.XfrAVyV7mHo

クリスマスには実は他の意味もある。

それは「よい知らせ」だ。

つまり人を幸福にする「よい知らせ」が来るのでそれを一緒に喜ぼうということなのだ。

 

全ての人が幸福になりたいと願って止まない。

まさに究極的な人生の目的は幸福になる事であると言っても過言ではないであろう。

では現在、世界で果たしてどのくらいの人が幸福なのだろうか?

George Ortega氏が始めたHappiness Show の統計には、思わぬ結果が出ている。

 

なんと、

4分の1のアメリカ人が軽い鬱病にかかっている。

地球上の全ての人が自分の幸福度は65%以下だと思っている。

では65%以上幸福だと思っている人はどんな人なのか?

それは絶対に裕福層に違いないと思う人もいるかもしれない。

果たして本当にそうだろうか?

 

他の統計結果を見てみよう。

過去50年間でアメリカ市民の収入は2.5倍増加している。

けれども幸福度は今までと変わっていない。(http://thehappinessshow.com/WhoWeAreContactUs.htm

ということは経済的繁栄と幸福度は比例していないことになる。

更に、Forb誌が挙げる「裕福なアメリカ人」の37%が平均的米国市民より幸福でないという結果がでている。

 

英国でも同じような調査結果が出ている。

生活レベルは目を見張るほど向上したが、幸福度はまったく変わっていない。実際、幸福度が下降線を辿っているケースも見られる。

この調査からわかるように、本当の幸福とはつかみどころがなく、得る事が難しいものであるという現実は顕著であると言える。

 

人類が始まってからというもの人はずっと幸福を探している。

だが殆どの人は見つけられないままだ。

 

この様な人々はどうだろうか?

実に幸せそう見える。

 

多くの偉業を成し遂げた人

圧倒的な力を誇る政治経済界の著名人

華やかな芸能人

 

彼らも同じように幸福を得るために努力を惜しまない。

確かに、彼らの人生は充実していて社会で認められている。

だから幸福に違いない。

ということで、成功さえすれば、ライムライトを浴びれさえすれば、幸福になれると信じて疑わない人が後をたたない。

だが、彼らでさえ実はそんなに幸福を感じているわけではない。

この現実には驚くばかりだ。

では

幸福とは果たして得る事ができるものなのだろうか?

雲をつかむようなものなのだろうか?

 

それでも

大きな仕事を任せられ成功を収めた時に天に上るような喜びを感じたことはないだろうか?高校や大学から合格通知をもらった時は?恋におちいっているときは?恋人からプロポーズされたときは?初めて自分の子供を腕に抱いた時は?友達と楽しい時間を過ごしたときは?

幸福だと感じたに違いない。

それともそんなとうの昔の事は忘れてしまったのだろうか?

 

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(出典:https://www.irishtimes.com/culture/film/last-christmas-emma-thompson-film-inspired-by-george-michael-songs-is-seasonal-splat-1.4080768)

だれでも一瞬の幸福なら感じたことが人生に必ずあるものだ。

でもそれらはほんの一瞬の出来事で今は記憶の片隅に追いやられ、

めったに姿を現すことがない。

だから、あたかも幸福というものが自分の人生には一度も訪れなかったかのようにも感じられるのだ。

そして悲しいかな

自分の人生は真っ暗闇だと信じて疑わない。

そういう人がたくさんいる。

 

なぜほとんどの人にとって幸福を得る事は困難なのだろうか?

もしかして間違ったところを見ているのだろうか?

幸福について間違った概念を抱いているからだろうか?

幸福とは一体どこから来るものなのだろうか?

幸福とは一体何なのだろうか?

 

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(出典:https://www.gentletouchanimalhospital.com/blog/how-do-i-know-if-my-cat-is-happy/happy-cat/

子猫:僕は知ってるにゃ〜。そんなに複雑なことじゃないにゃ〜〜〜。

ミモザ:そうだよね〜。猫はみんな知っていることだよね〜。

後悔!無駄な出費あるある

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僕がう〜んと若い頃だにょん。人間ってゆーのは無駄なことばかりするにゃー。人間のメスの服を着せられてじっと我慢。でも僕はオス!

誰でもあると思うけど、

過去を振り返って超無駄で後悔している出費がある。

全部感情で決めたことだ。

全くもってバカ者だった。

 

独身時代:

1。高価な英語学習教材

東京のとある駅前で無理やり買わされた。確か200,000円。若く押しに弱く断れなかった。全然使わなかったので留学前に高校生の女の子にタダであげた。

 

2。流行の服

今は処分して手元にない。もっとも周りの同世代の女性に比べたら無頓着のほうだったかもしれない。何れにせよ、流行は常に変わりそれについていくにはお金がかかり、女性のファッションこそが資源の無駄!財布の敵!

 

3。高級美容院。

身の程知らずの出費。 気分で行った。確かに技術がすごかった。でも髪の毛はすぐ伸びるからこの状態は長続きしない。かといっても毎月行けるほどお金がない。だから無駄。その後は散髪もパーマも自分で実施。

 

4。ブランド物のスキンケア用品他

ポーの化粧品。品質はよかったけど若かったので必要なかったと思う。若いときは高い化粧品など必要ない。高い理由はブランド名のため。当然そんな現金は持ち合わせていなかったので月賦で払った。一本のローションなど数か月でなくなってしまい、その後また買い換えないといけない。そんなの無理だったのでそれで終わり。細胞は常に再生を繰り返すのだから一時期お手入れをしても、続けなければ意味なし。

美肌のためには高いスキンケア用品ではなくて、睡眠、水、栄養、運動、規則正しい生活、適度な太陽の光が最も大切で、これをなおざりにして高い化粧品を塗っても意味がない気がする。

 

5。友達と遊びに使ったお金

楽しかったけど、貯金するべきだった。あの当時の友達とは連絡はない。なんだったのか。

 

6.素敵なレストランでの食事

雰囲気を楽しむという名の無駄遣い。楽しみが幸福だと勘違いしていた。

日本の友人は酒場(古い?)通いが趣味だったが、これなんか最も無駄遣いだと側から見て思った。経済的自立を果たしたいならこんなの最初にやめるべき(会社の経費もちなら別)。それに健康に悪いものにお金をかけるなんてどうなのか。

 

7.女性雑誌

購読している友達が読み終わってから回してもらうべきだった。それに図書館にも雑誌はある。本屋の前に最新の月刊誌が出ているとついつい誘惑に勝てなかった。役に立たなかったこともないが大した内容ではなかった。でも日本の雑誌はアメリカの雑誌より数倍も優れているということに後に気がついた。楽しみだったが今思うと無駄。

 

結婚前と結婚後

1.婚約指輪と結婚指輪

アメリカのタイプは、バンドと婚約指輪というふうに離れていなく、くっついているタイプが多い。よっていつもダイヤの入った指輪をつけていた。食器を洗うときもオムツを取り替えるときも。だから、500ドルほど(55,000円:安いほう)だったが、20年しないうちに壊れ、真ん中のダイヤはどこかに消えてしまった。合計20ドル(2200円)で十分だった。今はウオールマートで買った13ドル(1400円)の指輪をつけているが、ただのガラス玉だとは誰も気づいていない。夫にも350ドル(38,000円:安いほう)の結婚指輪を買ったがこれも無駄。貧乏な学生結婚の私たちには高かった。そして高くついた割には大した見かけではない。みんな買うものだと思っていたし、宝石業界にあおられていただけ。後悔。

 

2.結婚披露宴

アメリカは披露宴は花嫁側が担当する。花嫁ができない場合は花婿側がやってくれる。何しろ大陸なので西海岸と東海岸の人が結婚することもあり得る。そのため、式の後に公式披露宴とオープンハウスの2週類の披露宴なるものを別々に実施する。そうすれば両方の家族や親戚や友人が出席できるからだ。(次男は披露宴たるものを3回実施!)

しかし、これにかかる費用は大きい。日本だと高い結婚式場を借りても、来賓からのお祝いでそれを賄う事ができる。アメリカはお祝いなど一人20ドルから100ドルが相場だ(ほとんどは20ドル:2200円前後)。これでは高い式場の費用は賄いきれない。

座りっぱなしタイプの披露宴は人数が決まっているので大体予測がつけられるが、ずっと座っていなくてもいいカジュアルな披露宴だと、手ぶらでやって来ることも多いので何人来るか、何ドル入るか予測がつけにくい。

座りっぱなしだろうが立ちっぱなし形式だろうが、お祝いはなしで、ただ食いして帰っていく人もいる。ただ数分寄っていくだけの人もいる。お祝いは現金の他に台所用品、寝室、バスルーム用品のギフトがある。私ももらった。いらないくらい。タオルだけは今も使っている。残りは全部破壊された。あんなのはっきり言っていらなかった。

この式と公式披露宴とオープンハウスの費用は私が全部払った。なるべくお金をかけないために、フラワーアレンジメント、ブーケ、式場(義祖母の家の庭と教会の広間)の飾り、など全部私の手作りだ。ドレスは義母のドレスを借りた(ただ)。もろまずいケーキは夫の叔父がその道のプロなので焼いてくれた(ただ)。招待状は印刷屋にお願いして100ドル弱(11,000円)のみ。オープンハウスと披露宴両方にかかった費用は全部入れて1000(130,000円)ドル。めちゃくちゃ安いほう。それでも無駄だと思える。

アメリカは人にもよるが通常この大騒ぎに20,000ドル(2,200,000円)から 40,000ドル(4,400,000円)ほどかける。家が一件買えるじゃないの。でも一生に一回だからといって(通常は親が)散財する。いや一生に1回じゃないケースが多い。だからしない方がいい。たったの何時間かの感動のためにこんなにお金を使う人がいるのが不思議。うちの3男の披露宴は花嫁側が6000ドル(660,000円)払った。花婿側はオープンハウスをしても元を取れないのでやめることにした。二人とも学生なので(アメリカでは学生結婚が多い)豪華な結婚式の後は貧乏生活を余儀なくしている。我が家はオープンハウスをしない代わりに、新郎新婦に家賃の一部を仕送りしてあげることにした。

アメリカの離婚率は約60%。お金をかけるほど離婚率が上がるという統計も出ている。理由は、夢のような結婚式の後にも夢のような生活が一生続くような錯覚をしていて、でも現実は全く違いその格差に耐えられないかららしい。豪華で夢のような結婚式と披露宴の後には現実が待っているのだ。そしてアメリカの離婚の最大原因は、言うまでもなく「お金」である。

 

3。電話代

長男が乳児の時、わたしはストレスから友人に長距離電話をかけていた。夫はこれに対して渋い顔を隠せなかった。今のような連絡方法がなかった時代だ。でも現在携帯電話は最低のサービスしか使っていない。

 

4。子供のおもちゃ代

おもちゃ業界には悪いが不必要。あれは子供のためではなくて、業界のためと親のためにある。業界は儲けるためで、親にとっては子守の代わりと、自己満足のため(大いに経験あり)。子供は想像性に富んでいて発明の才能がある。おもちゃは開発した人は賢いが、遊んでいる子供はそれで遊んでもそんなに賢くはならない。脳の開発にそこまで役に立たない(レゴは例外)。子供に本当に必要なのは生の材料と生の経験。ノリ、はさみ、テープ、絵の具、鉛筆、布地、糸、マーカー、クレヨン、空き箱、ひも、ストロー、木片、様々なゴミ、鍋などの台所用品、道具、そして太陽と水と植物と土。右脳を開発したかったらこういうものを与えたほうがいい。人形などいらない。アクションフィギュアもいらない。自分で作らせた方が賢くなる。人形よりペットの方が良い。

学習教材も値段の割には大したことない。ひたすら無駄!!!!!

これに関して本当に心の底から大公開している。

 

5。子供の習い事

ピカッと光る天才的な能力がある場合を除いて全部無駄。うちはちなみに、バイオリン、ピアノ、体操、テコンドー、ゴルフ、ダンスなどをさせた。娘のピアノ以外は無駄。芽が出ていない。一応才能がありそうなことをさせ、賞もとったりとかもあったが今は何も続いていないし頭も良くなっていないし健康に役にたった気配もない。まずもって子供たちから感謝もされていない。

習い事は上流階級の真似事。贅沢な趣味。親の自己満足のため。それだけ。

だから、すっご〜い無駄。運動が得意なら勝手にそればっかりさせておけば良い。楽器も本人がすごくやりたいなら価値あり。つまり子供が頭を下げてお願いしてこない限りはさせなくていいという結論。

 

6。公立学校外の教育

必要なし。成功する星の元に生まれた人はどんな教育機関でも結果が出せる。我が家は教育費にかなりかけたが娘以外は結果が出ていない。 知り合いに日本の国立大学教育学部の教授がいるが、彼に言わせると、どのくらい優秀になるかとか目が出るかは90%生まれつきだそう。やる気も生まれつきのうちとか。100%同感。

ミシガン州のデトロイト市は貧困都市及び犯罪都市として有名だが、その学区からでも立派な生徒が出て一流大学に行く生徒もいる。社会的に経済的に成功する人も少数だがいる。反対にうちの学区は「理想的学区」とみなされているし殺人事件もないしこぎれいな生徒ばかりで建物もものすごく立派だが、卒業生は結果を出していない。

職場の同僚の日本人駐在員は皆優秀で一流大学出身だ。真面目に勉強するタイプだったそうだが、もともと優秀なのでそこまでガリ勉をした風でもないらしい。やっぱり生まれつき?

だから関係ない。教育を与えればどうにかなるというのは可能性としてはあるが確率は低い。ほとんどは本人のやる気と遺伝子。無駄な投資。色々お金をかけても結局はただの凡人になるだけ。ノーベル賞をとるような人になって欲しければ子供には自由な時間を沢山あげたほうがいい。自由な時間にお金はかからない。

自分も含め普通の親がすることは苦手な部分をまともなレベルに上げようと必死になること。でも苦手な分野とかって決して得意にはならないしどうにか普通レベルでとどまるだけ。それだと自尊心も向上しないし、結局苦手なことは学ぶのに時間がかかるので結果的に得意なことに専念する時間がなくなることにつながる。だから何にも成功しない人になる確率の方が高い。周りに足並みを合わせてバランスを取ろうとすると優れている面が埋もれてしまうことがよくある。

得意な分野を伸ばせられる環境ならどこでもいいんじゃない?高い学費を払ってまで私学とか塾とか家庭教師とかも、なんだか・・疑問。うちは学力の低い子供がいたのでいろいろやったけど、無駄でした。できてもできなくとも教育機関に頼るんじゃあなくて広い世界で実際の経験をさせる方が絶対意味あることだと思うのだ。

 

7。本

図書館を利用すべし。あとで売ろうしたがほぼ売れない。子供の本がものすごい沢山ある。今は断熱材に使っている。また、子供に本当に賢くなって欲しければ学校とか塾などに頼るのではなく、図書館に通わせる方がいい。お金もかからない。

 

8.友人から引き受けた家具など

中古品は普通ただ同然で買えるのに、友人だからという理由でしっかりお金を払って引き取った。欲しくなかったが断れなかった。そのことで夫は怒っていた。

 

 9.最新のガジェット

あまり古いと活用が困難になるが、常に最新のものでなくとも用は足りる。もっとも仕事に最新版が必要なら別件だが。仕事に使うなら投資なので構わない。環境と資源保護のためにはマイナスだが。

 

最後に

 上記が、私が後悔している無駄遣い歴だが、最後にもう一つ追加するなら、

私の全部の大学と大学院および夫の大学院。なんか経済的な観点から見ると無駄な気がしてならない。株式に投資した方が良かったような気がする。まあ二人ともしたかったのでしたのだが、卒業証書という名前の高価な趣味だったと言える。

私はお酒やタバコやお菓子のような嗜好品にほとんど興味がないのでこれは節約につながった。

 

一番本当に後悔していることは、

特にお金のことに関しては

若い時からもっと賢く使うべきだった、ということだ。

そうすれば今頃はとっくに億万長者になっていたかもしない。

そして悠々自適の生活だったかもしれない。。。。

あ〜、わたしって本当にばか!。

 

イラスト:MCL