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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

美と暮らす:天窓のニセステンドグラス

シンプルに生きるというと何もなく殺風景な住空間をイメージしている人が多い。

ナチュラルに生きるというと汚くだらしない生活でもいいと思っている人も多くいる。

わたしはどちらも避けたいと思っている。

シンプルな中に遊びの要素とか個性とか美を取り入れて暮らしたい。

だからホームインプルーブメントにもその概念を取り入れている。

 

我が家は家を買ってからというものずっとホームインプルーブメントをしている。

壁を取り壊したり床を張り替えたりしているが、その中で何か美しく芸術的な物をほんの少し入れるようにしている。

それをお金をかけないで実践している。

大したものではないのだが、それがあることで、

なんてことのない平凡な生活がなぜかキラキラして見えてくるのだ。

それは静かな幸福感でわたしの内面を満たしてくれる。

 

今回は自分たちで天井に取り付けた天窓をご紹介したい。アメリカの家の中は光があまり入らないようにできているケースが多く我が家も暗かった。よって改善策を講じることにした。(青い目の夫は光がさんさんと降り注いでいるところでは目が痛くなるそうだ。でもわたしには暗くて耐えられへん。)


1。最初は屋根をくり抜き、天井もくり抜く。そして設置。

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2。中間点にアルミニウムのチューブを入れた。空からの光がチューブに入りその反射光がガラスを通り部屋に入る仕組みだ。

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断面図。

ここまではアメリカ人でもよくすることで珍しくもなんともない。

で、設置した後はこんな感じ。(木材の茶色以外はベージュと赤と青が基調色。)

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我が家のリビングルーム。天井にある二つの光っている丸いものが天窓。

3。この後、ニセステンドグラスを作成。

1)トレーシングペーペーに鉛筆で下書きをする。

2)水彩絵の具で彩色する。

3)ペンで輪郭をなぞる。

4)ガラス窓の内側に挿入する。

出来上がり!!!!

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ど〜ですか?

4。これも!

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黒っぽい点は侵入してきたハエ!でも絵の一部としてうまくカモフラージュされている!

これだけで、部屋の雰囲気がガラッと変わる。(空に向かって写真を撮ったので周りの天井が真っ黒に写ってしまった。。。。)

!家が芸術的になった感じ!

このニセステンドグラスの絵にかかった費用はというと

う〜ん。1円くらいかな?

シンプルでお金もあまりかからないけど、美しく暮らしたい方におすすめ!

 

世の中に嫌なニュースがあるときにこそ、美しいものに囲まれて暮らすことが大きな意味を持つと感じている。

それは、美しいものを目にすると世の中の醜いものや暗いニュースを跳ね返す力が体に心にみなぎって行くように感じるからだ。

美にはそういったポジテイブなエネルギーが宿っている。

魂が浄化されるように感じる。

 

だから

暮らしの中に美を取り入れて生きていきたいと思う。

 

 

たかがトイレットペーパーされどトイレットペーパー

Toilet paper
(Toilet paper | Photo Credit: Alexas_Fotos)
階下に住んでいる息子と嫁は毎日のようにトイレットペーパーを探しに街に繰り出していた。いつどの店に行くかによって運が決まるから、とにかくしつこく回るしかない。そして苦労が実り大喜びをしていた。
やれやれ。
 
このトイレットペーパーで皆どこの国でも血まなこになっている。そんなに大切なことなのだろうか?
 
先週末、このような世の中の動きに対して、夫の元軍人の友人がフェースブックでこんなことを口走っていた。
 
「みんなさ〜。頭がおかしいいじゃあないか〜?たかが尻を拭くもので大騒ぎしてさあ〜。あのな〜、軍隊ではな、なんでもいいからその辺のもので拭けと教えられたぞ。
くだらないことで真っ青になっている奴はな、軍隊に1日でも入ったらいい。しっかり教えてくれるぞ〜。」
 爆!
 
ない人がほとんど
確かに、笑えるけど真実。
このハイテク現代社会に及んでも、
実は世界の7割半の人がトイレットペーパーがない!
人数にすると40億人だよ!
だから貴方がもしトイレットペーパーを持っているならかなり恵まれた人という証拠。
 
じゃあ、40億人の人が使っていない理由とは?
 
住んでいるところに木があまり生えていないから。
買うお金がないから。
必死になって稼いだお金をどうせ捨てるファンシーなお尻拭きに使いたくないから。
 
では、そういう人は何を使うの?
 
水。
葉っぱとか。
左手というのもある。
日本では「ちゅうぎ」とか銅器のかけらとかが昔使われていた(痛い!)。
新聞紙もありだね。
 
あら、彼らはトイレットペーパーがなくともしっかり生きているじゃないの。
なくても文句を言っている人もいなさそう。
それにトイレットペーパーの歴史はそんなに長いものじゃあない。
人類のほとんどはそんなオシャレなものは使っていなかったのだ。
 

トイレットペーパーの歴史

6世紀の唐王朝時代:トイレに紙が使用されていたという記録が残っている。

1391年:香り付きトイレットペーパーが明王朝時代に王室用に作られた。

そのサイズは約一枚2mx3mと大きい。

1857年:医療用トイレットペーパーが開発された。

1890年:ロール状のトイレットペーパーが生産された。

1928年:トイレットペーパーを買うことが恥ずかしいこととみなされていたが、この年にホーバーグペーパー会社が、美しい女性のロゴを考案し、ブランド名も「チャーミン」という名前(チャーミングなイメージを狙って)で売り出し大反響となった。

 1931年:現代のような大量生産のトイレットペーパーが最初に生産された。

 
金持ちの国の話
ではトイレットペーパーの改善を大幅に試みた先進国ではどのように消費されているのかみてみよう。
 
先進国ではトイレットペーパーは二次的な用途にも使われている。
鼻かみ、化粧落とし、トイレシートのカバー、商品の梱包、鏡磨き、ガラス磨き、と広範に及ぶ。トイレットペーパーでウェデイングドレスを作る人もいる(破れたら終わり!)。湾岸戦争時代には戦車をカモフラージュするためにも使っていた。
 
確かに、利用価値が高く便利なのはわかる。
でもこんなにふんだんに使っていいものだろうか?
 
こんな風に活用しているから、
一般的な家では、トイレットペーパー一個は5日しかもたない。
消費者一人につきは約8ー9枚のトイレットペーパーが一回のトイレ使用時に使われる。ということは、人一人つき1日で約57枚のトイレットペーパーが消費されることになる。で、トイレ以外の用途にも活用されるならもっと消費されているということになる。
 
具体的に、
人ひとりは一年に約100個のトイレットペーパーを消費する(20、000枚)。
米国での一日のトイレットペーパー全生産量は83,048,116個!
 
 ショック!
 
環境的考察
平均的な木の重さは1000ポンドで450ポンドの漂白された化学樹脂をもたらし、その90
%が活用されるなら、約810個のトイレットペーパーが一本の木から生産されることになる。大木なら1500のトイレットペーパーが生産できる。
 
人ひとりが一生のうちに使う分のトイレットペーパーを生産するには384本の木が犠牲にされる。
米国のみで毎日約27,000本の木が犠牲になる。
年間440,000,000本の木が米国でトイレットペーパーの犠牲となる。
 
だから多くの国々では貴重な紙をトイレに流したりなど考えられない。
貴重な地球の資源をこんなに無駄にしてどういうものだろうか。

トイレットペーパーは重要な課題

たかがトイレットペーパーされどトイレットペーパー。

紳士淑女の国では大切なのだ。

現に、アメリカ人の7%がホテルのトイレットペーパーを盗む。

 
樹木をこんなに犠牲にしなくていいように多くのことも試みられている。

例えば使用済みのコピーペーパーをオフィス内でトイレットペーパーに即時に変えられる機械が発明された。

 

けれども、

地球の残りの住民である25%が、

使用料をかなり減少させない限りは、

大きな改善は見られないように感じる。

それはわかる。

でも

昔の方法に戻ってもいい人は一体何人いるだろうか?

私は戻ってもいいと思っている、けど。

 

http://www.toiletpaperhistory.net/toilet-paper-facts/toilet-paper-fun-facts/

https://thetoiletzone.com/toilet-paper-facts/

試練に逢うとき

 

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(出典:http://www.malankaraworld.com/Library/Reading/Suffering/Default.htm

立ち向かう

人生は試練の連続だ。

生きていれば誰もが遭遇する

この試練によりその人の本当の忍耐や強さが試される

当然困難を経験する。

けれでも

希望と確信と共に試練に立ち向かい

雄々しく戦うことを選ぶことも可能だ。

 

試練は人生の一部だ。

避けることはできない。

もしうまく対応できるなら

自分を強くし人格を磨くことにつながる。

信念を確かにすることも可能だ。

それは自信につながり

これからの人生をより飛躍させることになる。

試練は実は隠れた宝かもしれない。

 

だからできるだけ勇気を持って立ち向かうべき。

何もうまくいっていないと見える時こそ

諦めたり希望を失うべきではない。

できることがまだあるなら。

諦めは幸福への障害壁

 

感謝する

それでも

苦しくてこれ以上頑張れないと思う時は

どうすればいいのだろうか。

そんな時は感謝することを見つけるゲームをすればいい。

 

試練自体を感謝することもできる。

いいことも悪いことも全て感謝。

今の状況の中で見いだせる小さな感謝は心の重荷を少しは軽くしてくれることだろう。

そして自分の人生はそんなに捨てたものじゃあないと思えてくる。

 

わたしの試練

では

わたしの試練とは何か。

つまり

  1. まともに社会人をしているがゲイの長男
  2. アル中の女性と結婚し、プータ郎ガンコ石頭の次男
  3. 耳がよく聞こえなく事故で脳震盪を起こした三男。人一倍頑張り屋で成績も優秀で明朗で人気者(+イケメン)。でもインターンシップが全く見つからない(インターンシップがないと大学卒業後仕事が見つからない)
  4. 大学卒業間近だが心臓と膵臓に問題があり羽ばたきたくても羽ばたけない娘

要するに全部自分の子供のこと。

 

解決するために親としての努力という努力は全てした。

でも無理だった。

辛くて

夫とわたしはこの試練から逃げたい。

つまりどこか遠い外国に(日本とかに)夜逃げしたい気分だ。

でも逃げられない。

だとしてもこれ以上どうにもできない。

だから神頼みしか残っていない。

親にはもうどうにもできないから、どうにかしてください、と祈るしかない。

 

そして今ある状況に感謝することを見出すように努めるしかない。

苦しいことも

嫌なことも

思うようにならない現状にも

感謝。

そこから学ぶことがあるからいいのだ。

人格形成につながっているかどうかはわからない。

でも見えないところで自分は強くなっているのかもしれない。

何よりも自分の試練により人生の真の意味を理解できるようになり

同じように苦しんでいる人の気持ちがわかるようになった。

打たれ強くなったかもしれない。

 

でもまだまだ謙虚さに欠けるので

さらに試練がやってくるかもしれない。

そうしたらその時も試練を祝福と呼び直し感謝することにしよう。

 

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(出典:https://www.flickr.com/photos/texese/106442137

今日は春の日差しと新しい命に感謝。

裏庭の丸太の山に住むコットンテールウサギに赤ちゃんが生まれたようだ。

生きていることはまんざら捨てたものではない。

美しいことや感動することはまだまだ残っている。

ただそれに目を留めるかどうかが鍵なのだと思う。

人生という汽車に乗せてもらったことに感謝して窓から見える景色を楽しむかどうかは自分にかかっているのだ。

 

余談だが、

コロナスケアのおかげで退職金がみるみるうちに消えていっていることも我が家の試練の一つ。心配しても仕方がないのであまり気にも留めていない。

何もなくなったら裏庭の芝生は全部剥がして自給自足をすればいいと思っている。

でも不動産の支払いは?払わないと家が銀行に差し押さえられる!

まっ、それは本当に経済破綻した際に考えることにしよう。

 

 

 

 

 

 

アメリカは非常事態!

ミシガン州知事はプライマリー選挙が終わったその直後に、ミシガン州のコロナ感染者数を初めて公表し、「非常事態」と宣言。

う〜ん。都合よく選挙の直後なんて不思議なこともあるものだ。その前に発表したら皆選挙に行かないから待っていたに違いない。表向きには、医療機関が100%感染していると確認した後に知事に連絡することになっているから遅れたと言っているが、本当のところはわからない。

そして木曜日にWHOにより正式にパンデミックの発表が出てからというもの、住民は店に駆けつめほぼパニック状態!

 

3月13日現在で米国の感染状態はこんな感じだ。

State Cases Deaths
Washington 509 37
New York 421 0
California 276 4
Massachusetts 123 0
Colorado 77 1
Texas 51 0
New Jersey 51 1
Illinois 46 0
Florida 46 2
Georgia 42 1
Pennsylvania 41 0
Louisiana 36 0
Virginia 30 0
Oregon 29 0
Nebraska 28 0
Tennessee 26 0
Nevada 19 0
Maryland 18 0
Iowa 17 0
North Carolina 16 0
Michigan 16 0
Rhode Island 14 0
Minnesota 14 0
South Carolina 13 0
Ohio 13 0
Indiana 12 0
Connecticut 12 0
Kentucky 11 0
District of Columbia 10 0
New Mexico 10 0
Arizona 9 0
South Dakota 9 1
Arkansas 9 0
Wisconsin 8 0
New Hampshire 6 0
Kansas 6 1
Missouri 5 0
Alabama 5 0
Oklahoma 4 0
Delaware 4 0
Mississippi 4 0
Utah 3 0
Maine 3 0
Hawaii 2 0
Vermont 2 0
North Dakota 1 0
Wyoming 1 0
Alaska 1 0
Idaho 1

0

これによるとワシントン州は死者が37人も出た!(このうち19名が老人ホームの人)だから皆真っ青になっている。全体の感染数も高い。
 
ミシガン州は州知事から小学校から高校まで全校休校のお触れが出た。
全大学は4月の終わりまでオンライン授業に変更。
全ての活動も中止。
娘の大学の5月の卒業式は中止。
250人を超える集会は厳禁。
行事も皆中止。
在宅勤務の勧め増加。
そして店という店から商品が消える!
 
実は甘い考えのわたしは午前中に買い物に行った。
金曜だから空いているに違いないと思ったのだ。
ところが、すごい人の数!
それに中年の男性が多い!
なんで仕事は?
在宅勤務なら家で仕事じゃあないの?
みんな怖い顔をしてカートに商品を積み込んでいる。
でも肝心の商品が・・・。
 
要するにこんな感じだったのだ。

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ペーパータオルとトイレットペーパー!売り切れ!次の出荷は未定。
 

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卵。ほぼ売り切れ!
 

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小麦粉。完売!パンでも焼くのかしら?パンは主食だから?
 

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酢。明日には完売すると予測される。
 

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砂糖。なんで砂糖が必需品?一番下の段は完売。明日には全部完売になると予測。
 

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消毒液、消毒剤類。完売。
 

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水。ほぼ完売。
 
ちょっと!買おうとしていたものがないじゃん!
だから野菜と娘のクリームだけ買ってさっさと帰ることにした。
おお!
ところが!

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レジの前で並ぶ顧客。氷山の一角。ここから並べそうもない。他を当たろう。

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氷山の別一角。列の真ん中へん近く。
ああ〜あと何時間待てばいいの?と不機嫌なおばさん。

 

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氷山のまた別一角。列の後ろの方。ここで待つか。でも待てど来ない自分の番。

 
そして列に並び待つこと二時間。
あ〜疲れた。
 
みんなちょっと心配しすぎだよね。オーバーリアクションもいいところ。
政治家も皆んな、次のイタリアになることを恐れている。

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パニクっている人間を見て驚いているニャンタ!
こんなにものを買い占めてどうするにゃ〜?
何を怖がっているにゃ〜?
 
ほんとだ。
なぜ人間は猫のように悟れないのだろうか?
 
ちなみに仕方がないのでトイレットペーパーをアマゾンで注文した。
到着はなんと!
4月中旬!
絶句!
 
 
 

どこもかしこもコロナ事件の話ばかり

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春が来て鳥の餌箱の上で見張り番をするリス。

今朝外に走りに行った。

お〜。春だ!

やっと来たんだ。

胸が踊り、一気に幸せな気持ちにさせられた。

 

でも

ニュースを見れば相変わらずコロナ事件のことばかりだ。

アメリカの店の棚からも商品が消えて行っている。↓

(ちなみに我が家は買い占めなど無関心。水は井戸水があるし、トイレッットペーパーも無くなっても他の方法があるんだから平気。えっ?それは何かって?ご想像にお任せします。)

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(出典:https://bringmethenews.com/minnesota-news/coronavirus-concerns-lead-to-empty-shelves-at-twin-cities-stores

ここアメリカでも感染者が増加する一方で一体どうなっているのだろうか。

春でしょ?

普通ウィルス菌というのは雨が降ったり温暖になって来ると死んでしまうものなのに、全くもっておかしい。

それならもしかしてこれはウィルス菌ではなくて細菌かもしれない。

それも今までに類を見ない強烈な細菌。

 

耳にした情報によると、ハーバード大学の研究者が中国政府と組んで生物兵器を開発し、中国本土でそれを拡散したという話だ。理由は人口が多すぎるから、とか。

ネットで検索が可能と聞いたので探してみたがまだ見つかっていない。

う〜ん。

なんとなく信じられるような信じられないような。

これってただの噂?

でも火のないところに煙は立たないというじゃない?

 

人類が始まってから多くの伝染病が流行った。今回が初めてではない。

でも多くの人が怖がっている。

かくいう私も実は感染者数と死亡者数を毎日確認している。

ここに行くと危険かも、感染して死ぬかも、と無意識的に考えているに違いない。

でも、

大体が、自分を含めみんな人生はずっと続くべきと思っているところに問題があるように感じる。

 

そういう風になにかに執着することが苦しみと悩みの始まりなのではないか。

これを仏教用語で「集諦(じったい)」と言う。

その意味は苦しみの原因は、物事に執着した煩悩にあるということを理解することが幸福へのステップだというのだ。

 

引き寄せの法則によれば願うことは叶うと言われているが、どんなに執着しても寿命に関しては人の力で変えることができない部分が多いのではないだろうか。

だからありのままの状態を受け入れることは大切なのだと思う。

明日はわからぬ命。長く生きればいいってもんでもない。どんな生き方をしたかの方が重要ではないだろうか。

 

このコロナの事件で、人の命のはかなさと生きる目的を再度考えさせられることになった。人はあんな小さな菌で死んでしまうのだ。どんなに偉業を成し遂げた人にも死はやってくる。この事実に意義を唱える人はいないだろう。

当然死は残された遺族には悲しみだが、逝ってしまった人々にとっては実は本当はそうでもないのかもしれない。なぜなら、死とは終わりではなく、単なる転換期でしかないからだ。死とはこの地上での人生の終わりではあっても永遠への別れではないのだ。

だから本当は悲しむようなことではないのかもしれない。

 

人生に不必要なものはたくさんあり、それらへの執着を捨てれば安らかに楽に生きられるのだ。その執着が煩悩で、煩悩が不幸の始まりだから。

 

感染者数が増えても死亡者数が増えても、ちょうど過去の伝染病のように、終止符が打たれる日が必ず来ることを信じている。

でももし夏になってもそうならなかったら、例の生物兵器の噂は本当だったことになる。

それこそもっと怖いのではないだろうか。

 

 

Corona Scare (コロナスケア)

学校閉鎖

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日本に住むアメリカ人家族。学校閉鎖で喜ぶ!(出典:https://www.youtube.com/watch?v=9Ln3FEj2-zM

https://www.youtube.com/watch?v=9Ln3FEj2-zM

(ユーチューブの家族の様子は最初の半分だけ。後半はスキー場面。)

 

コロナウィルス感染を防ぐために、日本の安倍総理が小、中、高の学校を閉鎖すると聞いた。それに対しての多くの反対意見も目についた。

おおむねがそのことにより困った事態が起きるのではという憶測に対する苦情だ。

 

それなら他に何かいい方法があるのだろうか?

それがわたしが感じたことだった。

社会に問題が生じると、政治家が問題解決のための策を講じるが、この策が国民全員を満足させるというのはまずありえないと思う。

会社もこれに然りである。

 

ある状況下で、様々な面から検討した結果、どれも100%満足ではないが決断を迫られて講じることが多いのではないだろうか。

松下幸之助氏が、「決断する時に100%確かというのはない。65%くらいでよしとすることも許されるのでは」というようなことを語っていたことがある。

そんなものだと思う。

 

ニュースを見ていて安倍総理の辛い心の内を察した。

指導的立場にある人のストレスは生半可ではない。

国民全員プラス全在日外国人の命が彼にかかっている。

国の経済も世界の経済も彼にかかっている。

オリンピックも控えているし。

どうするの?

ああかわいそう。

こんな重たいプレッシャーに日々耐えているかと思うと、とても彼のせいにはできない。

 

安倍総理の決断が気に入らない人は、他によい策を提案したら良いのではないだろうか。他の提案がないなら文句を言っても始まらない気がする。

このように、社会もしくは自分の人生がうまくいかないと、それを周りのせいにするのはもっとも簡単だ。社会の問題だけでなく人の不幸の源は政治家のせいという人もいる。確かにそういう場合もなくはない。

でも政治家がすべての国民の生活を豊かにし社会問題をゼロにすることは不可能なのだ。一方を改善すればまた一方が困ったりする。そんなものだ。

 

それに生きている限りは問題に遭遇するものだ。結局のところこの世の中は完全ではなく絶対に完全になどなれない。

だから、この不完全な世の中でなるべく幸せに生きていくことが人生の大きな課題なのだ。ということは、もしわたしたちが完全を要求したり期待したりしなければ、幸せを手に入れるのはより容易になるのではないだろうか。

そして現実的になることは問題を解決する能力を引き上げることになるのではないだろうか。

 

コロナへの恐怖

実は先日、4月の初めに出席予定の国際カンファレンスがあるが、このコロナのせいで米国以外からの参加者は来ないようにという通達が来た。当然自分は米国側からの参加なのだが、中国人と間違われて差別されるかもと懸念している。日本人の駐在の同僚がここより北部のあるレストランから出てくる時に、子供に"No Chinese!"と言われたからだ。

う〜ん。行きたくなくなってきた。

でも、そうやって白い目で見られるのは確かに嫌だけれどコロナウィルスに冒される方が重大問題だ。

それなら本当にコロナウィルスは報道されているほど危険なものなのだろうか?

コロナウィルスはインフルエンザよりも患者数も死亡数も(今のところ)少ない。でも薬がないことから免疫の低い人(自分のような人)には特に危険らしい。

 

数字で見てみると、

2月28日時点で

コロナの患者は78,498人(主に中国)。死亡数:2715人。

今冬のインフルエンザ患者は米国のみで、約26,000,000人。

入院患者数は約250,000人。死亡数は約14,000人。

https://www.livescience.com/new-coronavirus-compare-with-flu.html

 

な〜んだ。大したことじないじゃん。

それならこの大騒ぎはどこからきているの?

「恐れ」からのような気がする。

だとしたら、もしかしてウィルス菌より危険なのは「恐れ」?

これがパニックの原因?

 

パンデミックではまだないようなことが言われているが、もうすでにパンデミックという感じではないか。でも正式にそう声明しない理由は、この「恐れ」が世界恐慌につながるからだろうか。やはり経済的な理由が主だからか。そして経済破綻の可能性が益々「恐怖心」を煽り立てているように見えてならない。

 

いずれにせよ、わたしはもしコロナウィルスに感染したら家族には悪いけど別にどうでもいいと思っている。病気になる時はなるし死ぬ時も死ぬ。未然に防げるなら、対策を講じるけれど、100%というのはやっぱりない。自分にできることをしてそれでも罹ったら、それは仕方がない。ガタガタ騒いでも仕方がないのだ。いさぎよく運命を受け入れるしかない。その方が幸せではないだろうか。

 

それに、この「恐れ」はストレスをもたらし、このストレスこそが最も怖い怪物なのだということを忘れてはならない。

 

なぜなら、

ストレスが病原菌をやっつける体の機能を

シャットダウンさせるからだ。

この現実をよくよく理解するなら、心配しないで「どんとこい」くらいに構えていた方が菌対策に効きそうな気がする。

もしわたしがコロナウィルス菌に感染したら、回復すると信じて養生するのだ。目が開けていられるならたまっていた本を読みまくり、もし動けるなら絵を描いてヨガでもするつもり。

お〜。なんか楽しそう!

 

さて、

ゆっくりできるのはいいけど、仕事に行かないと収入が減るのが問題だね。でもケチ生活を余儀なくしてきたお蔭で貯金がわずかながらある。だからその貯金でその間は生き延びようと思っている。

 

コロナウィルスは気温が上がれば消えるでしょう。

景気も回復するでしょう。

だから恐れは無用。

安心立命。

 

 

コロナウィルス菌とプレッパー市民

最近新型コロナウィルスの事件のため世界経済への懸念が見られる。

発祥地の中国では感染拡大が少しおさまってきたかのように報道されているが国外では広まっていると聞いている。

世界のエコノミックジャイアントと呼ばれている中国の経済が悪化すれば当然米国にも日本にも影響が及ぶ。

例えば、こういうことがあると人はパニックになる。インフレーションか?ものがなくなることを恐れて市民は物品の買い占めに走るだろう。観光やクリエイテイブ産業の痛手は大きそうだ。株式市場にも影響が及ぶ。もし中国バブル崩壊となれば世界恐慌につながるかもしれない。経済破綻は怖いが可能性としては有り得る、と不安を隠せない人も多くいる。これからどうなるのだろうか?

さらに大体がこんな経済活動をずっと続けることに無理があると思っている市民も多いのが事実だ。資源が底突きるまで続けるのだろうか?

確かにお金は大切だけれども、こういう事件が起きると、頼りにならないと思えてきて仕方がない。お金は命には変えられないのだ。

 

だから今米国では、非常時のための緊急準備産業 Emergency Preparedness Industryが一気にスターダムにのし上がってきた。これは国や社会に依存せず最低限の生命を維持するために使う道具器具を扱う産業のことを指す。

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備えあれば憂いなし!(出典:https://www.wideopenspaces.com/wanted-see-far-doomsday-preppers-go-19-answers-got/

具体的には、瓶詰めや缶詰めの道具、家庭菜園のための種(買い占め)、大型冷凍庫や電気のジェネレーター、魚釣りの道具、懐中電灯。他に貯蔵品として、あらゆるサイズの電池、、ライフルと鉄砲玉、医薬品、飲み水、水のフィルター、ろうそく、石鹸、燃料、薪、笛、裁縫道具、毛糸と生地。そして当然翌三か月は最低生き延びられる量の食品など。一言で言えば自給自足の準備品である。

 

結局、国も社会も頼りにならない。仕事だって首になったら終わり。現代経済もあてにならない。それなら究極的に自分以外に頼る人はいない。

心の根底でそう思っている人が実践を余儀なくしている。

もともとアメリカというのは開拓者の国で、サバイバルスピリットが根強いためでこういうものに傾倒する人は多い。そしてこのような、もしもの時のために準備周到な人を英語でPrepper (プレッパー)と言う。

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食糧貯蔵の極め付け(出典:https://proxy.zagon.pe/yt/search.php?q=Prepper

ちなみに我が家には上記のものがほぼ全部あります(食糧貯蔵はこれよりはるかに少ないですが)。

 

人生いつ何が起こるかわからない。

だからシンプルに生きたいとは思っているけれどミニマリストにはなれないのだ。

なぜなら物なしで家族が生活するというのはほぼ無理だから。

必要なものというのは確実に存在していて、でも何が必要かは個人によって異なっていていいと思う。

不安にならない程度のシンプルライフが我が家の定義。

 

備えあれば憂いなし。

備えることから得られる心の平安もシンプルライフの定義の一部と言えるのでは。

 

 

 

 

スローフードが流行り?

 

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(出典:https://www.dailysabah.com/food/2019/12/22/time-to-catch-up-with-nature-join-the-slow-food-movement

流行りの言葉にスローフードというのがある。

ファーストフードに対抗してできた造語だ。

 

ご存知のように、ファーストフードはマクドナルドなどのハンバーガーショップのメニューを一般的に指す。だからか、市民はファーストフードは「高カロリー」と「肥満」とイメージしている。

 

アメリカ人は、「ただの食事」などに時間をかけずになるべく合理的に済ませ、残りの時間を「より重要な意義あること」に費やすべきだと思っている人が多い。だからドライブスルー(車の中から注文し受け取り、プラス運転しながら食べるシステム)がある。マクドナルドにもある。

その空いた時間はお金儲けとか遊びに使いたいのだ。だとしてもマックじゃあ物足りないから、スナックを必ず食べる。その結果、アメリカは肥満大国と化してしまった。高カロリー食品の早食いで運動不足(車社会なので)じゃあ結果は見えている。

どうでもいいけど、栄養価の高いバランスのとれた食事を摂ることはお金儲けより大切じゃないの?

健康って一番大切じゃあないの?

そんな馬車馬のように働いていても不健康なら意味ないでしょ?

もっとスローダウンしたら?

 

と、そう思う人もここにもだんだん増えてきた。

それでスローフードムーブメントが起きた。

それは時間をかけて育てられた地元の食材でゆっくり料理をしてゆっくり食べることを意味する。

スローフードとはまた、一般的には家庭料理で、生の素材から心を込めて作った料理のことを指す。要するに普通にある料理のことだ。

例えば味噌汁とか。こんなの日本人なら誰でも作れるでしょ?

ここならスープがこれに当たる。でも果たしてスープを作れる人は何人いるのか。

スーパーに行けば、缶詰のスープが沢山並んでいる。それを買ってくれば簡単ではないか。作るなんで面倒臭い。時間の無駄。そう思っている人が多い。

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(出典:http://theconversation.com/forget-fast-food-slow-down-for-better-well-being-11750

大体がアメリカ人女性は料理があまり得意ではない。

世界を誇る超広い台所は一般的に綺麗で、意識的に汚れないようにしているらしい。

得意でないし台所を綺麗に保つために料理はしない人が多い。

だったら何故台所があるのか?

それは台所は「暖かくて」「家庭的」な雰囲気をもたらすからである。

↓こんな感じ。綺麗でしょ?どこの家の台所もこんな感じでとにかく広くで綺麗!

数多くの戸棚には箱や缶詰が詰まっている。

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(出典:https://homedesignlover.com/kitchen-designs/big-kitchen-design-ideas/

 

ある時うどんの作り方を友人に教えた。

でも「こんな複雑なことはできない」と言われた。

え〜、これが複雑???

じゃあ天ぷらは?

教えてあげたけど

「そんなステップがたくさんある料理は無理」と返された。

 

自分が見た感じでは、誰がスローフードを実践しているのかは全くもって謎。

職場の女性陣も料理をあまりしない人が多い。

夕食が朝食用のシリアルという時が多いのもアメリカではよく聞く話だ。

それならスローフードなんて言葉は彼らは知らないかもしれない。

 

もちろん主婦は料理をもっとやっているが日本人女性が作るような手の込んだものは作っていない。彼らは簡略化を好むからだ。

でもそういう食生活を長年続けていくとやっぱりしっぺ返しが来る。

老化に拍車がかかるのだ。

それでもお腹に何を入れるとかあまり気にしていないようだし、相変わらず肥満大国だし、早食い大食い文化である。ついでに基本的な栄養学の知識もない人が多くて目が点になりそう〜!

 

30年以上この国に住んで思うことは、

アメリカの食文化は貧しい!

これに尽きます。

 

その点、日本はすごい!

その食文化。

世界で一番じゃあないでしょうか?

 

自然の恵み豊かな食材で準備した料理には体だけでなく心を癒す力があるように感じる。

「とりあえずなんでもいいから」式の食事では決して得られない。

また昔ながらの家庭料理の価値は大きいのではないだろうか。

それを家族で囲んでいただくことにも大きな意味があるように感じている。

それがやっと見直されてきたようだ。

今ままでは、とにかく経済的に豊かになることが一番重要で、そのため基本的なことをおろそかにする人が増加する一方だった。

現在、生活のペースを落とし、目の前のシンプルで素朴なことに重要性を見いだすことが深い意味での豊かさをもたらすと思う人が増えてきた。

 

たかが食事、されど食事。

奥義は常に日常にあるように感じる。

 

注:スローフードとは実は地元の食材や食べ物及び料理方法を推進している組織のことを指し1986年にイタリアで創設された。その後世界に広がりアメリカにも渡って来た。生活のスローダウン化の一部として捉えられている。

 

 

 

 

町からマスクが消える!

 

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カナダの店からもマスクが消えた!(出典:https://ottawacitizen.com/news/local-news/ottawa-pharmacies-are-sold-out-of-face-masks-paint-stores-running-out-of-painters-masks

 

コロナウイルス菌のためか町からマスクが消えた!

どこを探してもない。

でも会社の同僚に聞くところによれば日本でも消えたらしい。

やっぱりコロナウイルス菌のせい?

でもマスクしている人見かけないだけど。

 

大体がアメリカ人というのはマスクをしない国民なのだ。

周りの迷惑とか頭にも浮かばないらしい。

マスクをしていると危険人物と思われるのが嫌だからだそうだ。

加えて、危険な菌を持っている人物と見られるから嫌なのだそうだ。

 

思いっきり咳をしていても会社に出勤するのは当たり前。

その時マスクは当然していない。

間近で唾を飛ばしながら話しかけてくる。

せめて咳をする時は手で口を覆うくらいしてもらいたいものだ。

(するように母親から教えられているはずだけど。。。。)

でも手で口を覆うのではなく、手をコップの形にしてそこに向かってコンコンとやっている人が多い。

なんじゃああれ?

それなら、そのコップの形の手を口のそばに置いてやったら?

10センチから15センチも離れていて意味あるわけ?

 

そういえばマスクなんて歯科医と外科医と手術をアシストしている看護師以外つけているのを見たことがない。

 

私は花粉症の季節になると、予防のためにマスクとサングラスと帽子を欠かさない。

その格好でスーパー(米国ではグローサリーストア)に買い物に行くとする。

するとみんなにジロジロ見られる羽目になる。

ものすごい怖い顔でこっちを見ている。

特に子供。

なんか危ない人に見えるらしい。

テロリストとかね。

 

そんなことを気にしていたら後で花粉症で苦しむことになるので

当然無視!

どうぞテロリストでも強盗殺人犯でもなんでも好きに想像してくださって結構です。

 

私は格好が悪いとか、みっともないとか、人になんと思われるとか、そういうことを全く気にしない人間なのである。

人が私をどう思うかなど私の知ったことではないのだ。

 

それはいいとしてアメリカ人もマスクをもっとすべきであると思う。

ゴホンゴホンと激しい咳をしていて人の迷惑だろう〜〜〜〜〜〜〜が!!!!

ま、人の迷惑とか、それに匹敵する言葉がこの国にないから期待するだけ無理ね。

 

だからマスクは店から消えたけれど、今の所町の中でマスクをしている姿はあまり見かけない。多分飛行場だけ?

夫の勤務先の大学で、3−4人ほどの中国人っぽい学生がマスクをしていたらしい。

う〜ん。

ということは、一体誰がマスクを買い占めているのだろうか?

華僑?

やっぱり彼らが買い占めてネット上で本土向けに売りさばいている違いない。

それもかなりの高値で。

それってなんとなくあり得そう〜〜。

 

ネガテイブスペースの真髄とは

ネガテブスペース、つまり負の空間とは埋まっていない空っぽの空間の事を指す。

これは西洋人の最も苦手な分野だ。

 

彼らは部屋の中にスペースがあると、何かそこに置きたくなってくる傾向があるのだ。

その領域を埋めないとなぜか落ち着かなくなってくるらしい。

 

彼らにとって部屋とは生活する場以上の空間で、美術館であり、彼らの美的センスを披露する格好の場なのだ。

例えばこれ↓

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(出典:https://www.wsj.com/articles/the-lush-new-decor-look-thats-vanquishing-minimalism-1485463384

この部屋にはネガテブスペースはゼロ。

楽しそうだけど、随分と落ちつかない部屋だね〜〜〜。

 

装飾品以外にも彼らは非実用的で用途のない家具を買い求める。

そこに置くと部屋が美しくなるという理由で置く。

つまり彼らにとって家具は彫刻のようなもの。

例えばこういうの。

下の写真はコンソールテーブルと呼ばれている。

、美し〜い!

でもなんのため?

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(出典:https://www.google.com/search?q=decorative+console+table&tbm

これなんかどう?

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(出典:https://www.walmart.com/ip/Best-Choice-Products-47in-3-Shelf-Modern-Decorative-Console-Accent-Table-Furniture-for-Entryway-Living-Room-Brown/284253972?

もうお分かりかと思うが、コンソールテーブルとは要するに飾り物を乗せる台のことである。そしてこのテーブル自体も飾り物なのだ。

こういった装飾を目的とした家具が西洋にはやたらと多い。

飾り物目的でわざわざ買ってくるんですか?

はい。

 

一見素敵に見えるかもしれない。

でも西洋のやり方を日本の住宅でやると問題が出る。

根本的に日本と西洋の文化も生活様式も異なるからだ。それに家のサイズもかなり違う。

だから日本の家屋で同じものを置くなら非常に目ざわりな感じがしてならない。

ぶつかってつまづくことも十分ありうる。

危険だし、美観を損ねるかもしれない。

なぜなら、

日本はネガテイブスペースを大事にする文化だからなのだ。

それは日本画にもよく表れている。

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(出典:Takeuchi Seihö; Landscape with Fisherman; Shōwa Period (1926-1989), 1900s; Ink on silk; mounted as a hanging scroll. https://meighanmaley.com/2019/10/14/compositions-of-evanescence-the-nature-of-japanese-art-part-two/

この墨絵にはネガテイブスペースが上手に取り入れられている。

実際にこの負の空間には何もないように見える。

何も語ってないように一見見える。でも本当は違う。

何もなくともそこには語っているものがあるのだ。

それを理解できるのが日本の文化であるように思う。

ネガテイブがあってこそのポジテイブスペースなのだ。

 

日本の文学も全部は語らない。読者に任せるという姿勢があるのだ。

こういうのは西洋の文学ではあまり見受けられない。

特に話の終わりに結論が出ていないと西洋人はとても困惑する。

これで終わりなの?と聞いてくる。

自分で想像してください。

と言ったら困った顔をしている。

なんでも説明しないと気が済まない民族なのだ。

 

「空気を読む」という表現は日本ならではのことで西洋ではこんなのは通用しない。

日本人は見えない空気が読める民族なのだ。

だから部屋をごちゃごちゃと物で埋めなくとも平静を保つことは容易であるはず。

言葉や物体で表現できない何かを捕らえることが得意なのだ。

見えないものに価値を置く文化なのではないだろうか。

 

何もないスペースにも何かがある。

そこに語っているものはしっかり存在する。

真っ白な頭の中にインスピーレーションが浮かぶように、そのような空間には深い意味があるように感じる。

 

シンプルな生き方やシンプルなものの中には心の奥底に届くものがあると感じている。

不必要な家具は無駄な考え方や生き方を象徴している。

そんなものは家に入れない方がいい。心や頭の中に入れない方がいい。

何かその空間を他の物で埋めなくとも、自分の心に正直に生きていれば、その何もない空間を怖がることはない。

多くを語らずとも感じるものはある。いや、語らない方がいい。

空っぽの空間には魂の真髄に響く語りかけがあるように感じる。

それは究極的には自分との対話につながるのではないだろうか。

 

 

 

 

イラスト:MCL