https://blog.with2.net/link/?2024349 /

ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

野生のキイチゴも自分と同じ

f:id:MimosaPalette:20210702120259j:plain

裏庭のキイチゴの一部。今年は雨が多いせいか沢山なっている。

裏庭には野生のキイチゴもたくさんなっている。

この家に引っ越してきた時からある。

雑草のようにその繁殖性と生命力の強さには圧倒されるばかりだ。

 

雨が降った後はキイチゴもいっそう実が黒ずんできたように見える。

とげがたくさんあるのでとる時は気をつけないとたくさん引っ掻き傷ができる。

キイチゴも自分を守るためにとげをたくさん出して敵から自分を守ろうとしているのか。

 

自分もたくさんトゲを出して敵から自分を守ろうとしている。

世の中の事件や家族のいざこざに魂を粉々にされないようにトゲを出して守っている。

防備はちょっとイマイチだけど。😅

生存を賭けて必死になっている。

 

とげは自分の中にある恐れを隠すもの。

寄るな来るな近寄るな!

そう恐れは叫んでいるのだ。

 

 

 

 

 

ブラのワイヤーは危険

f:id:MimosaPalette:20210630043426j:plain

さよなら〜〜〜!

最近ブラのワイヤーが布の部分を突き抜けてきていることに気づいた。

それで思い切ってこれを抜いてしまうことにした。

えい!や〜!

 

すると!

なんと清々し〜い気分!

今までこんなものが自分の体を押さえつけていたのかと思うとびっくり仰天。

体のラインを美しく見せる方が大切なのかそれとも健康が大切なのか?

 

そんなの言わなくてもわかるはず。

答えは当然健康。

なんか一気に肩のあたりから背中のあたりまでが楽になった感じがする。

 

本当に女性の身につけるものは下着から靴まで着心地の悪いものが多い。

(嘘だと思われるなら男性の服を着てみて男性の靴を履いてみてくだされ。💦)

 

そもそも体を締め付ける事は健康に悪い。

ブラは血液やリンパの流れを妨げる。

乳房だけでなく、筋肉や血管、リンパ節や神経など、胸の周辺にある他の組織への影響もある。

ブラがきつすぎると、乳房やその周辺の部位への血液供給を制限してしまう可能性もある。

「これはリンパ系への懸念にも繋がります。胸や脇の下のリンパ液の流れを邪魔し、体から有毒な老廃物を排泄するという、健康に不可欠なリンパの排泄機能を妨害することにもなりかねません

https://www.cosmopolitan.com/jp/beauty-fashion/health/a4932/what-happens-body-sleep-with-bra-on

 

おまけにこのワイヤーから来る電磁波の影響もある。

whoca.la.coocan.jp

 

でも、巷ではワイヤーが入っていないとバストが垂れると心配する声もある。

しかし下着の大御所グンゼではこんな発表をした。
www.gunze.jp

ああよかった。

いらないのね。

一番大切なことはサイズが合っていることなのね。

 

生地は収縮性があるものがいいとされているけど、そういうのは当然化学繊維のもの。

じゃあ自然素材にすればいいのだけれど、収縮性の点で劣る可能性も高い。

う〜ん。なかなか折り合いをつけるのは難しい。😓

 

とりあえずはワイヤーを抜くこと。

次は自然素材を探すこと。

もっぱらのゴールはこれ。

 

ちなみに、娘もワイヤー抜きのぴったりサイズのブラを買ったらしい。

快適とか。😅

 

キノコ狩り

f:id:MimosaPalette:20210629092701j:plain

最初の一個!


まだ明るい日曜日の夕方。

裏庭にキノコがたくさん生えていたので早速収穫。

 

なんのキノコかはわからない。

見た感じでは毒性ではないよう。(だといいけど・・・😅)

f:id:MimosaPalette:20210629092726j:plain

ここにも!

f:id:MimosaPalette:20210629092746j:plain

これはどうだ?

f:id:MimosaPalette:20210629092806j:plain

これも!

f:id:MimosaPalette:20210629092825j:plain

とりあえず全部集めてこのくらい。しめじみたいな小さなたぐいも沢山あったので収穫!

かがんで柔らかなキノコをとることは丁寧な作業。

うっかりすると頭が茎からポキっと折れてしまうこともある。

ゆっくり、丁寧に、ちょっと失礼〜。

 

自分は自然と切り離された存在ではなく一部なのだと思える瞬間。

今日も色々考えることがあったけれどキノコ狩りでなんとなく心が満たされて、

充実感とともに1日を終えることができた。

全てのものが揃っていなくとも幸せだと感じる。

全てが思い通りに行っていなくとも幸せだと感じる。

例えば成人した子供たちの人生が親が思いもよらなかった方向に向かってしまっていること。

それがいつも心にくすぶっているけど、

なぜかそれでもいいかって思えてくる。

 

自然の中に自分を置いていると、どんな状況でも「それでもいい」という気になってくる。

It is what it is and it is OK.

そのままでもいい。

そんな状況でもわたしは大丈夫。

やっていける。

ムキになってどうにかしようとすることも無用。

 

ご苦労様・・・って声を聞いた感じ。

 

 

 

 




 

 

アーシングって知ってますか?

天気が良くなってきたので(地面も凍らなくなってきたし)、最近アーシングを再開した。

 

とりあえず、我が家の裏庭をウロウロ。

ああ〜〜〜〜、気持ちがいい。😅

 

アーシングとはEarthing のこと。つまり大地と交わること。

簡単に言うなら、裸足になって地面に立つこと。それで歩いてもいい。

さらに(人のいないところで)裸で地面に寝っ転がれるなら一番いい!😅

先人は地球のエネルギーを足からもらっていた。

だから裸足になって地面を歩くことが大切なのだ。

 

アーシングをすると体に溜まった電磁波やプラスのイオンなどを解放してくれるのだ。

鬱にも効くらしい。

草や石ころで足のツボも刺激されて気持ちがいい。

 

現代人は石油が原料の靴を履きっぱなしで足を保護しすぎている。

その結果、人は靴を履き始めてから足の病気にかかるようになってしまった。

その上、その靴でコンクリートの上を歩き、化学繊維の絨毯の上を歩いている。

化学繊維の服を着て、プラスチックの物に囲まれて暮らしている。

静電気の影響を受けている。

そのため、さまざまな疾患に罹るようになってしまった。

 

ご存知のように、

人の多くの問題は「不自然」な生き方、つまり自然に即さない生活を営んでいることによる。

アンバランスな生活をしているのだ。

それを元に戻してくれるのが自然の力。

その自然と触れる方法の一つがアーシング。

 

詳細はこちらを。

www.youtube.com

 

外に行ってこれができない人は、色々グッズも出ている。

節約がモットーな自分はいまいち買う勇気がないけど、

興味がある方は是非どうぞ。

検討する価値は十分にあると思う。

 

 

消費意欲がない生き方ってどう思いますか?

 

f:id:MimosaPalette:20210615211126j:plain

今朝は早く起きて、ミントを収穫した。ミントはうちの猫にとって麻薬と同じ。


日本人は消費意欲が旺盛だ。

どこのどの製品が良いと常に研究熱心な人が多い。

雑誌などにもその手の記事が満載されている。

 

アメリカは安物買いが多いにように見受けられる。

セールならいらないものでも買いまくる。

そういう人が多くいる。

それで経済が回っているのだから彼らのしていることにも社会への恩恵は確かにある。

 

そう。

市民の消費意欲が欠けると経済が低迷する。

それも困る。

しかし・・・

個人的な意見では、社会経済を回すために自分の銀行残高を犠牲にすることはできない。

それほどまで奉仕精神が豊富でない。

つまり自己中心。😅

やっぱり買わないグループに入るのだろう。

それに消費と環境資源保護は相反する活動だ。

どちらを選ぶかと言われれば後者に決まっている。

  

そもそも散財して自己破産し路頭に迷っても、生産・販売元が自分の借金を肩代わりしてくれるなんてことはまずない。身の丈に合わない生活態度で自制できなかった自分が悪いと言われるだけ。

だから自分の経済は自分でしっかり管理しないといけないのだ。

 

それに、どこの品がいいとかよりも、

どうやったら出費を削減できるか、その方が興味がある。

 

ということで自分は消費意欲が低い。

今持っているもので済ます。

壊れたら、まず最初にすることは直すこと。

無理なら誰か直せる人を探す。

用途を変えて活用できないか考える。

無理ならそこでやっと捨てる。

つまりボロボロになるまで使い切る。

それが自分なりの感謝の示し方。

地球の資源へのそして作ってくださった方への。

 

衣料品に対する姿勢:

流行が変わったからと新しい服を買わない。

流行に左右されない服を着て、流行などという言葉を口にすることもない。

人様からどう見られようと自分には関係なし。

人様の顔には目はついていないということにする。

靴もそこまで数はいらない。

自分の足にフィットしていて濡れなければよしとする。

 

ブランド品には憧れない。

人様からいただいたものは70%気に入れば大切に使わせていただく。

見栄?

なんですか、それ?😅

 

台所用品:

日本にいたときにいつも思っていたんだけど・・・

日本の台所の多くがガチャガチャしていて乱雑で統一感に欠けること。(今は違うと思いますが)

安物の全解放のプラ棚類の数々。

そんなものを足らなくなるたびに買うのではなくなぜドアのついた家具を買わないのかと思っていた。

それなら全部隠してしまえるので台所がスッキリして見える。

それでも母の台所は一応立派な戸棚が揃っていたけれど、全部マッチングしない類。

環境美観にうるさいわたしには、こういうのが頭がすっきりしない理由の一つだった。

 

そもそも、ただでさえ日本の台所は物が多い。

食器や調理器具の数もそのレパートリーのバラエテイさを反映しているせいか本当に多い。

だから物が多すぎることが一番の問題。

狭いことが二番目の問題。

全くマッチングしていないもののオンパレード(多分貰い物)、これが三番目の問題。

 

米国の我が家の台所は日本サイズで狭い。

だから必要のないものと使わないものは置いていない。

すでに食器があるのに、素敵だからという理由で買い求めない。

 

食事に対する姿勢:

グルメに興味なし。

グルメ料理を作る時間なし。

外食はチップ(15%〜20%)を払いたくないので滅多に利用しない。

食事はシンプルの方がいい。

おやつは大人に必要なし。

美容の敵。

健康の敵。

長寿の敵。

自分への標語:砂糖の甘さは自分へのあまさ!

 

家の飾り付け:

安物の飾り物をたくさん買い込む人はアメリカにたくさんいる。

どうも壁中が埋まっていないと不安になるらしい。

家具もとにかく多い。

彼らは負の空間に耐えられないのだ。

どうせ買うならたった一つの芸術作品でも買った方がいい。

なぜならこの国では芸術作品は投資の一部であるからだ。

でも一般市民はそんな高価な品に手が出ないだけでなく、その価値を理解もできないし、

買い求める意義も知らない。

だからゴミになる飾り物を買い求める。

しかしゴミも貯まれま山となるというではないか。

 

だからとにかく「ごちゃごちゃ飾り付け」の家が多い。

どうりでこの地にこんまりメソッドが流行るわけだ。

で、人が捨てまくっている。

(しかし最近コロナも収束近いということで市民の買い出しが再開されたようだ。😅)

 

処分することはいいことか?

断捨離ならず全捨離という言葉があり、よくビデオを見たりする。

その概念は当たっている気もする。

しかし、家具も服も80%処分して後で買い直すのは嫌だ。

貰い物とかフリマのものはなるべく避けるとか・・・無理。😅

 

そもそもものには邪気が宿っているらしい。

風水によると、物にはネガテイブな感情が染み付いているらしい。

紙やタオルには邪気がたくさん住み着いているとか。

それは危険!

 

なんとなく理解できる。

 

しかし、節約がもっとも大切なら何となくこの方法は使えない気がする。

買い換える予算もないし・・。

 

もっとも悪いことに、

人の消費欲が減退することなく、リサイクルもしないなら、

地球の全てはゴミ捨て場と化するだろう。

困った・・・。

 

じゃあどうすればいいか。

つまりお清めをすればいいのだ。

塩や重曹と祈りで。

そうすれば人様から譲り受けたものでも古いものでも再利用できる。

 

いつも思うことは・・

物を大切にして足るを知ることは幸福への道であるということ。

買うときは一時的な理由で買うのではなく長く使うことを考慮して買う。

必要のないものの”数々様”は最初から自分の家の敷居に上がってもらわない。

 

これに尽きる気がする。

 

 

 

主婦になりた〜い!

主婦になりたい。

(子供のいない、もしくは家に子供のいない)主婦はいいなあああ

 

丁寧に生活するとかって今の流行りだよね。

でもこの生き方って主婦っぽい概念だと思う。

主婦でも子供がごちゃごちゃいる家庭じゃあないし

さらに夫の稼ぎだけで経済がまわる家庭のライフスタイルっぽい。

 

彼らは家事をきちんとこなす時間的余裕がある。

友達とランチに行くこともできるし

お茶の時間もある。

ケーキとか焼いちゃったりして・・・(その昔やってました・・・😅)

 

趣味に明け暮れることもできるし・・・

自由があっていいなあと思う。

 

マイナス点は経済的自立。

孤独というのもあるかもしれない。

それだけの気がする。

 

ゆっくりで

丁寧で

静かな

生き方。

 

それを羨ましいと思う。

贅沢な生き方でもあるように思う。

 

反対に家庭を持ち仕事をする女性は余裕がない。

ぼーとする時間もほぼない。

 

だからストレスが多い。

それではいけないと焦ってぼーとする時間を無理やりスケジュールに入れたりする。

だからそれは終わりのないぼーとする時間ではなくて

決められた短時間でのぼーとする時間なのだ。

だから時間がくればそそくそと通常の活動に戻る。

 

何時から何時まで絶対にこれを達成する・・・とかこと細かに全てが予定として組み込まれている。

(ブログを書く時間もほぼ決まってます。😅)

それで1日の終わりに、どのくらいチェックマークがつけられたか確認。

全部のノルマが達成できれば笑顔が溢れ、

思い通りに行かなかった日なら落ちこむ。

 

確かにノルマゼロのぼーとした生活も悪い。

達成感ゼロは鬱の原因になりそうだ。

 

だからある程度のメリハリや緊張感は大切かもしれない。

それでも

わたしは主婦になりたいと願っている。

 

毎日手の込んだ食事を準備して

読書三昧で

趣味に打ち込む日々・・・・。

家はいつ人が来ても恥ずかしくないくらい整理整頓されていて

ゴミも埃も見えない。

快適。

 

羨ましい・・限り。

f:id:MimosaPalette:20210623063116j:plain

マルベリーの更なる収穫。夕方にぼーとしながら草取りをしているときに見つけた。

 

アメリカにいるけどデンマークの暮らしに憧れる

 

f:id:MimosaPalette:20210620082703j:plain

ヒュッゲライフスタイル。(出典:https://www.wideopencountry.com/hygge-lifestyle/?utm_content=buffera49ad&utm_medium=social&utm_source=pinterest&utm_campaign=buffer

ライフスタイルの定義

自分の暮らしを定義するなら

それは・・・

シンプルライフでもあり

ナチュラルライフでもあり

サステナブルライフでもあり

節約(フルーガル)ライフでもあり

マインドフルネスライフでもある。

 

シンプルライフというと日本では断捨離やミニマリズムという自分の環境をシンプルにするという定義が広まっているようだ。それで自分はそれに従っているかというと、本格的なミニマリズムからはほど遠い。断捨離も徹底してはやっていない。そもそも白黒のモノトーンの服だけを身につけ、モノトーンの壁と何もない床とか・・・とても近づけない。家の中も多少は飾り付けをしている。自分は世俗的なものを完全には排除できない。それに色のない暗い人生はつまらない・・・。

ミニマリズムをやってもそれで居心地が悪ければ意味がなく、満足感や幸福感がなければやる意義もない。だから自分にはやっぱりできない。でも全捨離とか憧れるのよね〜〜〜。

素朴なことをやっているけど、生活がそこまでシンプルというわけでもない・・・。

 

なんでもナチュラルっているわけでもない。

サステナブルも理想はそうだけどストイックに実践しているわけではない。

節約ライフはかなり実践しているけど、徹底してはいない。

自動車は2台あるし、家もあるし、使うところでは使っている(子供の学費とか)。

マインドフルに生きているかと言われると、そういう日もありそれに反する日もある。

 

それで思った。

自分は多分ヒュッゲライフスタイルなんだと思う。

それは何かというと・・・

 

ヒュッゲとは

hygge (デンマーク語):

フーガ(言語に近い発音);ヒュッゲ(日本での言い方)

定義:(名詞;動詞)

元々の意味は”hug"

居心地良さや陽気な快適性を指し満足心とか幸福感をかもし出すもの。

当たり前の生活を快適に過ごすように工夫を凝らすことも指す。

静けさや穏やかさを重視し、何もしない贅沢を味わうこと。

 

つまり素朴なことをして人生を楽しむこと。

例えば

読書、手芸、料理、園芸などをする。

友達や家族と時間を共にする。

ろうそくや暖炉のそばで猫を撫でながら時間を過ごす。

バランスの取れた生活。

など。

 

ミシガンも寒い時期が長いので、北欧のライフスタイルはここに合う感じがする。

自分もろうそくやランプを灯し、暖炉のそばで手芸をしたりする。

 

違いは北欧は福祉国家でアメリカは弱肉強食国家。競争は熾烈。

静かで穏やかな生活をやっていたら遅れをとり、あっという間に社会の低階層に落とされてしまう。

誰よりも目立ち大声で自分の立場を擁護することが美徳の国。

 

昔から日本では、「欧米では」と一色単に片付ける人が多いようだけれど、

この「欧」と「米」の違いは実際はかなり大きい。

 

だからデンマークのフュッゲは憧れ。

 

デンマークに留学がしたかった

f:id:MimosaPalette:20210620083236j:plain

デンマークの伝統木製工芸「鳥の家族」。(出典:https://inhabitat.com/classic-danish-birds-by-kristian-vedel/family-of-birds-danish-design-kristian-vedel-architect-wooden-products-design-children-kids-nursery-3/

実は高校生の時にデンマークのことに憧れていて調査をしていた。

社会のシステムに感動したのだ。

その伝統工芸とデザインにも魅了された。

だから留学をしたかった。

でも、第三カ国語を大学の講義についていけるほどのレベルに到達させるにはどのくらいの期間を要するか・・・とちょっと弱気になった。

それでも諦めずに、大使館まで出向いて情報収集にも力を入れた。

でもあの当時は日本からデンマークに留学する人はほとんどいなく、役に立つような情報はもらえなかった。

 

そして結局、多分自分には無理そうな予感がしたので非英語圏への留学は取りやめた。

 

でも今思えば、アメリカではなくてやっぱりデンマークに留学すればよかったと思う。

本当にやりたいことをすべきだったのだ。一番行きたい国に行けばよかったのだ。

なんで自分の本心に素直に生きてこなかったのか・・人生を後悔するばかり。

そういえばことごとく自分に素直に生きてこなかった。

嫌なことにも嫌だと言わず続けた。忍耐と我慢ばかり。

そしたら、やりたいこととか好きなこととかなんだからわからなくなってしまった。

結婚したら家族のニーズを優先して自分の気持ちは当然全面的に無視。

住む家もこの土地も、妥協して決めた。

子育ても、’ものすごーく’頑張ったけど、楽しかったかと聞かれると言葉に詰まる。

 

妥協ばっかりだと・・・周りに流されて生きていると感じる。

なんでも’これでいいか的’な決断と態度で・・・結局・・・無理矢理自分は幸せなんだ、感謝しなくちゃ・・・とか自分に言い聞かせている始末。😓

 

じゃあなんでアメリカ?

アメリカに来たのも憧れて来たわけではない。

たまたまアメリカ。

つまり’妥協’でアメリカに来た。(まただよ・・・💦)

 

競争の激しい国に来て、自分に合わないと思うことも多々あった。

頑張るのはいい。でも人と競争っていうのが自分ではないのだ。

人を蹴落とすくらい頑張らないとダメな国。それくらい頑張れるならこの国は向く。

体力があり積極性と競争心が生半可のレベルでない人。

そういう人ならアメリカは向く。

利己主義を地でいく人ならバッチリ!

自分のことをよくわかっている人が勝つ国。

妥協なんて尊敬には値しない生き方なのだ。

 

でも、人生って妥協が多いのかな・・・。

みんなどこかで妥協しながら生きているのかな・・・。

多分・・・。😓

 

 

 

 

マルベリー(桑)の実がとれた

庭のマルベリーの実を収穫した。

ほんのちょっとしか採れない理由は

鳥と競争になっているから。

 

パンをあげているけどそれでは足らないかな?😅

 

f:id:MimosaPalette:20210617081903j:plain

普通はちょっと食用ハイドロジェン・プロキサイド(オキシドール)を薄めた水につけておく。

虫がいることがあるからだ。

 

これからベリー類がたくさんとれる季節。

ミシガンはベリーが多い。

一番有名なのはチェリー(チェリーも基本的にはベリー種らしい)。

 

すでに甘いのに果物にさらに砂糖をかけるのがアメリカ人。

旬の美味しさを味わう醍醐味は彼らには無縁なのか。

理解し難いのか・・・。

 

そんなにゴテゴテと味をつけなくても既に甘いし、これで十分なのにね〜。

口の中でとろける感じ・・ほっぺたが落ちそう!

って、そんなことをいうアメリカ人いるかな?

ああ美味しい!とは言っても、それがどんな風に美味しいのかそんなことをうまく表現できる人にはお目にかかったことは今までにないことから、多分いないかも。

 

そんな食べ物に対する舌の感覚とか味覚とか彼らにはやっぱり無縁なのか。

文化にないのか・・。

 

日本人として生まれてよかった!と思うひととき。

 

 

 

 

 

紫蘇からもらうエネルギーはすごい!私の最近のブランチはこれ!

最近華氏80度を超えたりして6月に入ったばかりなのに暑い。

天気予報によると今週は雨とか聞いていたけど、それは一体いつなのか????

湖に囲まれた地域はこんな風に天気予報があてにならないことが多い。

 

しかし暑〜〜〜い!(日本の方から見れば全然涼しいのでしょうが・・・😅)

 

でもそのおかげで

畑の野菜も育ってきて紫蘇の芽も伸びていく。

 

そんな紫蘇の赤ちゃんを摘んで食べるのが最近の日課。

普通はお茶にするけれど

新鮮な芽をそのまま食べるのが健康に一番いいはずだ。

 

我が家の紫蘇は勝手にその辺に生えている。

つまり生えて欲しくないところに生えている。

それを抜いて食する醍醐味。

ああ幸せ〜〜〜!

 

わたしのブランチは

(朝ご飯と昼ごはんを一緒にしたものをこう呼ぶ。つまりブレックファースト+ランチ。)

紫蘇の葉と納豆。

 

とりたての紫蘇のエネルギーをいただいて、

満足感にも浸れる。

 

やっぱり人間は自然からエネルギーを頂かないといけないと思う。

見えないエネルギーが自然には潜んでいるもの。

植物にもそのエネルギーが潜んでいて、

食物としていただくとそのエネルギーが体内に入ってくるのだ。

 

栄養素だけでなく

エネルギーも。

生きていく時もっとも大切なものはエネルギーだ。

これがないと生き物は死ぬ。

 

人も動物もこのエネルギーが無くなった時に息を引き取る。

だからエネルギーの補充は大切。

 

f:id:MimosaPalette:20210612004733j:plain

1.  こんな生えてはいけないところに勝手に生えてくれる・・・😅

f:id:MimosaPalette:20210612004815j:plain

2.  これを摘んで根元をむしってボールに入れる。(下のレンガはうちの玄関ポーチ)

f:id:MimosaPalette:20210612004901j:plain

3.  洗って水を切る。(適当に・・・😅)ちなみに水切りはまだプラスチックのまま。

その理由はヨーグルトやケファーを作るときに金属質のものは使えないなから。

f:id:MimosaPalette:20210612005103j:plain

4.  ダイエット中なので😅ご飯の代わりに白菜(2枚半ほど)を丼(シリアルボール)に入れる。

f:id:MimosaPalette:20210612005153j:plain

5.  その上からおもむろに紫蘇をパラパラ。

f:id:MimosaPalette:20210612005227j:plain

6.  納豆をかけて鰹節もかける。この後お醤油をかけて出来上がり。

これは低カロリーで

栄養価が高く

ボリュームがあるので腹持ちがよく

安上がりで

準備に時間がかからない。

さらにいいことに減量に効く!

(この上にパルメジャンチーズをかけても美味。でもカロリーは上がります・・・が)

 

ぜひお薦めです。😅






 

 

時々はエデンの園に行こう!

最近暑くなってきた。

といってもそも前の週は結構寒かった。暖炉に火が再度灯った。

こうやってミシガンは天候や気温が激しく変わることが多い。

北部に位置していることと湖に囲まれているからだと聞いている。

来週はまた気温が落ちるらしい。

 

今朝も外に出て

走ってから

レイキ瞑想。

f:id:MimosaPalette:20210605234230j:plain

ここに座ってする。 目の前の木はサクランボの木。その後ろの白い家は物置小屋。

目を開けてみると

天国がそこに広がっている。

 

わたしにとっての地上の天国の風景画にはこんなものが含まれている。

つまり

カエデとサクランボと梨とりんごと桃とイチゴとブルーベリーとラズベリーの木。

エメラルドの絨毯。

 

木から落ち着きなく下界入りしているシマリス。

雑草の中からキョロキョロと周りを見渡すウサギの子供。

オレンジ色とブルーの蝶々の舞。

 

これが天国でなくてなんなのだろうか。

 

舞台はシンフォニー。

楽器の種類は最低6種類はあるに違いない。

チュルチュルとか

ピーピーとか

チュッチュとか

ビービーとか。

チックチックビーとか。

ヒュルヒュルルーとか。

(どれがどの種の鳥の鳴き声かわからないんだけど・・・😅)

f:id:MimosaPalette:20210605233506j:plain

これは軒下のロビンの巣。今にも落ちてきそうなので時々家主が直してあげたりする。

いいシャッターチャンスだったのに逃げられた!(右に見えますか?)

f:id:MimosaPalette:20210605233912j:plain

逃げてきてここに停まった。ロビンがデックに上がる階段の手すりの上にいるのが見えますか?

わたしは毎朝鳥に餌をあげている。

f:id:MimosaPalette:20210605233622j:plain

楓の木に設置されたこの餌箱には種を入れている。

f:id:MimosaPalette:20210605233801j:plain

家庭菜園の柵の上にはパンをちぎっておいてあげている。普通正午には全部なくなっている。

パンは果たして誰が食べているのかはわからない。鳥だけなく他の哺乳動物もだと思う。

 

これがわたしの地上の天国。

つまり

エデンの園。

 

それは何の心配のない楽園。

自己の細胞を縛っている鎖やそこに宿っている重りをとり払ってくれる場所。

地上のわずらいからわたしを解き放ってくれるところ。

その地上の大きなわずらいごととは自分の子供たちのこと。

子供の呪縛。

 

やっぱり思う。

心底幸せになるためには自分の心を地上の思いから切り離さないといけないんだと思う。

常に心が人の作った世界にある限りは、本当の意味での幸福はない。

人の作った世界は騒がしく

人はそれに支配され

惑わされ

ぐるぐる巡りが多く

その結果

悩みが多い。

「自分の人生はこれでいいのだろうか」という気持ちが心の中でうごめいている。

 

だから時々、

そこから自分を離し、

エデンの園に向かうことは必須かもしれない。

もし

本当の意味で幸せになりたければ。

 

 

 

 

 

イラスト:MCL