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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

シンプルライフって本当は何?ものを捨てることだけ?

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我が家のリビングルームの様子。庭に咲いていたdaisyの花をガラス瓶に無造作に入れたみた。日本の生花のような洗練された芸術からはかけ離れている。高価な器でもない。シンプルなだけ。でもシンプルさの中に心の奥底に届く美しさがある。自分もこの花のようにシンプルに生きたい。本当の洗練性はシンプルなものの中にあると思う。


シンプルにいきたい

そんな風に常々思ってきた。

ただの憧れかもしれない。

それならシンプルライフの定義はなんであろうか。

自然な暮らし。

簡素な暮らし。

質素とは違う。

貧乏暮らしとも違う。

でも我が家は多分貧乏暮らし。

持たない暮らしという人もいる。

時間の使い方をシンプル化?

暮らしをシンプルにして丁寧な暮らしを目指すこととも言われている。

つまり人によりどのレベルがシンプルかが異なる。

だから、自分なりのシンプルライフを追求するのが正しい方向なのでは。

 

日本では、シンプルライフ、イコール物を減らすこと、と一般的に解釈されているようだ。確かに、日本は土地の面積といい家もアメリカなどの大陸に比べれば狭いせいか、物を減らすことが、生活の改善化にとても大きな影響を及ぼすというのは納得できる。物が多いと片付けに時間がかかり、生活が複雑化する。よって、すっきり暮らすことができるなら当然生活はよりシンプルになるであろう。

さらに乱雑な環境では穏やかに生活することは難しい。その理由か、寺院や教会堂は大体が無駄なものは目に入らず、清潔ですっきりとしており美しい。確かに精神性を磨くには、また自己内省には物は邪魔者であるかもしれない。ものを見るのではなく心と神を見つめることに焦点を置いているのだ。つまり目的がはっきりとしている。

それに比べて人の住まいはどうであろうか。生活は多目的で常に変化している。そのため、物が必然的に増える。そういう家に住んでいてイライラしたりするのは当然のことだと思う。消費社会の行くに末は物に支配される人の悩みがあり、この現代を映し出す動きが断捨離であり、コンマリ法(米国でも知らない人はいないほど人気)である。そのレベルでは満足がいかない人は、ミニマリズムを追求する。

つまりこれが究極のシンプルライフと言えるかもしれない。

ミニマリズムは禅が源である。つまり元々の思想は東洋が発祥地で、西洋に輸入されたものだ。その後日本に新しい名称で逆輸入された。

ということはシンプルライフのエッセンスは禅宗が起源?ということになる。

 

しかしアメリカのシンプルライフは実はもっと許容範囲が広い。

当初は昔のシンプルで素朴な生活を意味していた。例えばアーミッシュのような現代テクノロジーに逆らい流行などに惑わされずに静かに生きる人生を指していた。彼らは時に尊敬され、時に時代遅れとバカにされることもあった。

しかし環境汚染などの結果を目の当たりにし、物質快楽主義から目覚める人が増えてきて、再び注目を浴びるようになってきた。社会の風潮に惑わされずに自分達の信条を守ってきた人々が勝利したかのように見えた。いくら物を買えてもそれが幸福の真髄に繋がるわけではないからだ。2000年前の哲学者でさえ生活はシンプルにするべきと語っていたが(当時は今よりはるかにシンプルライフのはずだけど・・)、それが現代人の耳にやっと届いたのだ。人は本当の幸せについてやっと理解し始めたようだ。

(でも〜。職場の同僚の話を聞いていると、どうも皆お金儲けとバケーションと早期退職に最も興味があるように見受けられる。シンプルライフは流行っているような感じだけど、実際に実践している人を周りに見つけることは結構難しい。)

 

我が家も、物質や快楽を追い求める生活には限りがあることを理解している。かといってそこまで自由に使える収入があるわけでもない。たとえあったとしても、子供が4人もいれば支出は多い。子供達が幼い時は夫の学生ローンを返しながら、キツキツ生活を余儀なくしてきた。また、子供の数が多いとミニマリズムは無理。それにオフィスみたいな寒々とした家で子供を育てたくないし、情操教育に悪そう・・・。だから「整理整頓の持続時間が1日に最低何時間はあり、母親が発狂しない程度」であった。

では我が家のシンプルライフとは何か?

エコライフであり、ナチュラルライフであり、余計なことに首をつっこまない生活である。そして素朴な生活を意味する。つまり自分たちにとってシンプルな生活ということだ。

我が家で特に気を入れて実践している事柄は下記を含み、これがアメリカでも一般的。

断捨離(時々思い立ったようにやる)、田舎暮らし、小さな果樹園と家庭菜園、食料貯蔵、CO2減少&資源&環境保護、ゼロウェイスト、節約(必需品は買う)、DIY(家の改造など) などがあげられる。これを複雑化しないように実践している(複雑になるとシンプルじゃないでしょ?)。

上記の活動は、ただ単にそれがやってみたいから実践しているのではなく、その根源は自分たちの信念に基づいている。

それは、人生の目的がなんであるかによる。何が生きていく上で最も大切かを見極めることにかかっている。

なぜ生きていくのかがわかれば何を取捨選択すべきが見えてくる。けれども根本を明白にできなければ、流行に振り回されているだけで社会の操り人形になっているだけでしかない。

それは他ならぬ「自分を知ること」にかかっている、と思う。

 

シンプルライフは人それぞれで良いと思う。

それは人によって人生が違うから。何が複雑であるかも違う。

人によって価値観が違う。それでいいんじゃあない?

 

Life is really simple, but we insist on making in complicated.- Confucius

人生は本当はシンプルのはず。でも我々はわざわざ意図的に複雑にしているのさ。孔子

 

ああ〜これって、まさに真実ですね。

 

 

 

 

イラスト:MCL