先週の金曜と土曜は気温が下落し、曇りがちで雨にも見舞われた。
最高気温は摂氏14度で最低気温が6度と、日に日に冬へ向かっていると感じられた。
翌朝は摂氏11度で、ついにこの秋初めて暖炉に火が灯った。
だが、昼には気温が上昇し(摂氏20度)、気持ちのいいくらい秋晴れの空と変わった。
通常わたしたち家族は日曜日に外に出て肉体労働に従事したりはしない。
だが、自然は人間の都合など待ってはくれない。
よってこの日、裏庭のリンゴを収穫することにした。
ところが!
あ~すでに遅し!
リンゴの実は寂しいくらいの数だった。
がっくり。
どうも庭にやってくる野生の動物に先を超されたようだ。
特に低木にはリンゴがほとんどなくなっていた。
残りは、なんとたったの3個だけ!
野生の世界は厳しい。
生き伸びることに必死な動物たちは、実が熟するまでリンゴの木をしっかり見張っていたらしい。そしていよいよ食べごろになった頃に、一気に実に跳びつき、さっさと巣に運んでいったに違いない。次はいつこんな美味しい餌にありつけるは分からない。採れるうちに行動に起こした彼らの勝利だ。その反対に、生ぬるい文明にどっぷりと浸かりすっかり無精者となった人間は動物より知性が高いように巷では言われているが、それは嘘である。本当の意味で知恵があるのは動物の方であろう。
だから、忙しさにかまけていた人間がビリだったのだ。
よって我々には野放し状態で枝が伸びすぎたリンゴの木しか残されていなかった。
あれって本当ににンゴの木?
似ても似つかない姿よね。
でも、折角だから、採ってみるか!
でもだれが?
木登りの得意だった申年の息子は他州の大学に行っていてお願いできない。
娘にも登れるような身軽さはもうない。
地下の住民(次男と嫁)の体重では木が折れる確率の方が高そうだ。
残りは夫もしくは自分?
しかしこの組み合わせは最も危険!
上に到達する以前に必ずや真っ逆さまに落ちることだろう。
そうなったらリンゴどころではない。
「青天のへきれき」などどうでもよくなる。
じゃあ、うちのニャンタはどう?
(猿を飼っていたらよかった・・・。)
どうも他に選択肢はなさそうなので、ちょっとどころかかなりおぼつかないが、
我々が腹を括るしかない!
さて、どうやってあんな高い所にあるリンゴを採るか。それが問題だ。
そこで「DIYいのち!」の夫がリンゴ採り器なる代物を作ってくれることになった。
牛乳の空きケースの脇に穴をくりぬき、そこにリンゴの実をひっかけて採るというカラクリで、高い所に届くように長い棒を先に取り付ける。
へえ~面白そう。
だが、これがなかなか難しい。
ああ、これを採ろう!
でもやってみるとなかなか難しい。
なので助っ人を呼ぶことにした。
娘よ、お願いじゃ。
もし心があるならば、
その若くエネルギーみなぎる腕で精根尽き果てた親を助けておくれ!
ひえ〜。えらい重労働!
思ったよりたいへん!
汗だくだく。
お~採れた!!!!
かわいい!
努力の甲斐なく大した数は採れなかった。
それにー。
オーガニックだから姿形がいまいちだな~。
結構虫に食われているなあ~。
でもリンゴはリンゴ。
わずかな収穫だがおもわず自然の恵みに胸が膨らんだ。
ふと思った。
こんなシンプルな活動だけどとてつもなく楽しい、と。
店に行って買い物をすることもいいけれど、
そこでは得ることのできない心の充足感がある。
リンゴを採ることは自然との対話だ。
実をつけてくれたリンゴの木に感謝。
採らせてくれて感謝。
実を養ってくれたこの地に感謝。
そして枝の間に顔をのぞかせている太陽の光に感謝。
見かけも機能もイマイチだったが、リンゴ採り器なるものを作ってくれた
心遣い一杯の夫にも感謝。
なんかとっても幸せ。
やっぱり。
本当の幸せはなんでもないような小さなもののなかに、そして出来事の中にあるのだ。
と思う。
アントニー・デ・メロ師もこのような事を語っていた。
「今この瞬間にあなたが無常の喜び(幸せ)を感じていないとしたら、理由は一つしかない。
自分が持っていないもののことを考えているからだ。
喜び(幸せ)を感じられるものは、全てあなたの手の中にあるというのに。」
決して華やかではない。
肉眼では見えない
なんてことのないような日常という宝物箱の中に
ささやかな幸せが眠っているんだ。
この日も自然という偉大な教師から金言を頂戴仕り、明日を生きる糧となった気がする。