採ったリンゴで自家製リンゴチップスを作ることにした。
そして
待つこと24時間。
リンゴは乾燥器でショボショボになった。
このボールに入っているリンゴはとりわけ艶やかなわけでもなく(まさに近い未来の自分の皮膚)、ましては高価でもない。
でも、見ていると不思議と満たされた気持ちになれる。
何故だろうか。
このリンゴの中に詰まっている栄養やエネルギーがそれを食する人を滋養してくれると感じるからであろうか。縮んだリンゴの一片一片が何故かとても愛おしく見える。
リンゴから慈恵と愛がほとばしっていると感じる。
この愛の源は”Mother Earth”。
その名の如く母なる大地を指す。
母なる大地はそこに生する全てのものの命を自己犠牲という愛により支えている。
創造し育む存在そのものではないか。
「人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である。」
と、かつての文豪であり政治家のビクトル・ユーゴーが語ったように、
自然と人間が融合することにより、人はその大いなる自然に愛されていると感じるのではないか。
たとえ全ての人間社会がその人を裏切ろうとも冷たくしようとも、自然は常に人と共にあり、人には到底理解のできない優しく時には厳しい包容力をもって無限の仁慈を示してくれているのだ。
それはまさに全生物に共通である母性愛と等しいと言っても過言ではないかもしれない。
化学構造的見地に基づくならば、人の本質は自然とあまり変わりがあるわけではない。全存在物の構造物質を一番小さな微粒子まで掘り下げていくと、そのように断言できる。
確かに、人も動物も植物も母なる大地から出で、いずれは同じところに帰っていくエンテイテイだ。これは人を含んだ全ての生命体は自然とは別物ではなく、まさに自然の、および大地の一部であることを象徴している。
だからその中で生きることが最も自然体で本来のあるべき姿であるのではないだろうか。
人は先端科学技術を駆使して多くの便利な道具を発明してきた。それは常に移り変わり更に便利なものが発明されることになり、結果的に人の生活に役立ってきたことは疑いの余地がない。
そして忘れてはならないのは、これらは全て幸福の追求から産まれた産物であるということだ。
幸せになりたいがために万人が追い求め、最新の発明品が最も大切であるかのような錯覚さえ覚えるようになってきた。
それなら果たして
人生は楽になっただろうか?
喜びで一杯になったのだろうか?
より幸福になったのだろうか?
本当に最も大切なものは、最も意義あるものとは、他の所にあるような気がしてならない。
では、それは何であるか。
もしかすると、人と一番近い存在である自然の中に答えを見つけられるかもしれない。