今世界中の多くの国々はクリスマスのイルミネーションで一杯で街は賑わいを見せていることだろう。多くのプレゼントが買われそれが愛と幸福を象徴しているかのごとくにも見える。誰もがどんなプレゼントをもらえるかとても楽しみにしている。
そのためか、クリスマスの季節は確かに幸福感で満ちている。
とてもウキウキする季節なのだ。
望みを叶える時、叶えてもらう時でもある。
ものに限らず、何かの望みを叶えられることイコール幸福だという考えの人は多くいる。実は当のわたしもそう勘違いしている時が多々ある。
だがこれは、手に入れられなければ不幸ということを意味することにもなりかねやすい。
さらに悪いことに、叶えられない望みというのは無くなることはない。雑誌やネットや様々なメデイアにさらされることにより望みの数は無くなるどころかどんどん増えて行く。それには終わりというものはない。そして人生がただ単に願望を満たすための果てし無いレースと化してしまっている場合も多い。
ではもしそうやってずっと生きて行くならどうなるのだろうか。
実際、時間が経つに従って叶えられなかった望みも増える傾向にある。だから年をとるごとに挫折感にさいなやまされ、自分は本当に不幸だと思うようになる人もいる。
だからまず初めに、
自分の欲しているものがただ単に「願望」なのか「必要」なのかを見分けることが必要になってくる。優先順位を決めるということだ。
例として、幸福に生きて行くためには、豪華で誰もが羨むような家が必要なわけではない。でも愛の溢れる家は必要だ。
これは何も望ます楽しみを完全に無視して
清貧に生きるということではない。
でも「満足する」という心がけは幸福においての核心であるとも思うのだ。
もし望むことが肯定的な結果につながればそれは得るにふさわしいと見て良いと思う。
自分を成長させてくれ人生に意義を与えてくれるものなら良い。
つまり、自分の望むことや物を得るプロセスにおいて幸福や達成感をもたらすならそれはOKということだ。問題は理性が全く伴わない選びであって、それは幸福に蓋をかぶせてしまうことになりかねない。
幸福とは、究極的には個人的な決断だと思う。
わたしたちは自分の人生に責任があり、他の誰でもなく自分自身が自分の人生を担当している。だから本当の意味で幸せになりたいなら、よくよく自分の願望や欲求に関して考えないといけないのではないだろうか。
往往にして、特に先進国では幸福になるためのものはいつも十分にあるのに、それを忘れている。物質的な物をとるなら、実際はどんなに少なかろうとも(衣食住が足りているなら)それはあまり幸せとは関係がない。
問題は自分の所有するものにどれほど満足しているかによって幸福度が変わるのだ。
ずっと「足りないものだけ」に焦点を置き、自分のはるか現状以上を望み続けることでは本当の意味で幸福にはなれないのではないだろうか。
だから幸福になるために第一の鍵は、
シンプルなものに感謝し自分の欲求を管理する。
真の幸福とは一見見過ごしてしまいそうなシンプルなものの中にあるからだ。