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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

幸福への第二の鍵:幸福は自分自身の中にある

 

 

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(出典:https://cdn.quotesgram.com/img/71/34/1238889810-very-little-is-needed-to-make-a-happy-life-it-is-all-within-yourself-in-you-way-of-thinking-570235.jpg

幸福への第二の鍵:

  幸福は自分自身の中にある。

  自分の選び次第。

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幸福は一般的に自分が見えるところにあるが、そこには落とし穴も存在する。

それではどんなものがあるであろうか。

最も分かりやすい幸福に至る道は下記が挙げられる。

 

1. 家族や友達

家族や友達と助け合いながら仲良くやって行けるなら、人生は完成に近いと思う人は沢山いる。けれどもその家族や友達を失うこともある。もしこれに自分の幸福を委ねるなら、その時には幸福は消えてしまうということになる。

 

2.

多くの人にとって富と幸福は類語である。裕福になるという目標を掲げることに問題があるわけではない。でもそれにも限界がある。富を一夜にして失うこともある。そういう恐れから完全に逃れることも難しい。ただ富が優先順位の一番になることが問題になるのではないだろうか。

 

3. 社会的地位

社会的地位が伴うと往往にして責任も増え、対応しないといけない課題も増加する。権力を間違って使ってしまうこともあり、周りからの中傷も多い。その地位を横取りしようと狙っている人もいる。よって心配事は尽きない。首相や大統領のストレスは測りきれないレベルであると容易に予測できる。だから社会的に地位があっても幸福とは限らない。

 

4. 高学歴

学歴が低いと自分で思っている人は、それを気にして劣等感に悩まされることもある。だから学歴が高ければ幸福になれるような錯覚を覚えてしまうこともありうる。

ちなみに、私の夫は大学教授で博士号を持っている。幸福かというとなんとも言えない。仕事量は想像がつかないほど多い。会社員の方は週末に休みが取れるが、夫は週7日労働で朝の7時から夜の11時まで働きっぱなしである。パワハラ学部長の下で嫌な思いをしてひたすら耐える日々だ。妻の私は何もできないので、ただ、多忙な彼を邪魔しないように努めている。

 

博士号の達成感は博士号を授与された時にありその時は幸福感と希望に溢れていた。でもそれは長続きせず、現実があっという間に彼のやる気と幸福感を潰してしまった。

だから一刻も早く退職することだけを希望に仕事をしているのである。その対策の一つとして、最近コンピューターにログインするときのパスワードを退職予定日に変えたらしい。それをタイプするたびに笑顔になると言っていた。夫を見ている限りでは学歴は幸福に全く関係ないと思う。学歴と幸福を天秤で比べて見るなら同じにはなっていないことは明らかだ。ほんとすごい可哀想・・・。

 

5. 名声

通常、名声度が上がれば上がるほどプライバシーが下降する。でも常に有名でいなければ、スターダムから蹴落とされてしまう。そのような恐怖感から逃れるためには余程の強い精神力がないといけない。プロのスポーツ選手も負ければ、コテンパンに叩かれ嫌な思いをする。有名であるということは、敵が多くいることになる。恥も沢山かくだろう。本当に幸せなのだろうか。

確かに有名人は、富、魅力、高価でおしゃれな車、豪華な家など幸福を象徴するものをもっている。しかし、その名声の下には、米国の例でいくなら、麻薬中毒症、子供の問題、結婚の破綻、浮気などの噂でも有名だ。

 

6. 娯楽

多くの人が娯楽に幸福を見出そうとしている。けれども娯楽と幸福には実は共通点はない。娯楽などの楽しみは短期間しか続かないものだが、反対に幸福というものは長期にわたり意義深い感情を伴っているものだ。

確かに娯楽はリラックス効果を持つ。しかしそれは自分の抱えている問題からの「逃避」であり、「一時的に忘れる」ための格好な逃げ道でもある。

楽しい映画を観た後に問題が消えているわけではなく映画の前と何も変わってはいない。それは肯定的な影響が「楽しみ」が続く限りは続いているだけで、本当の意味での幸福感をもたらすことはできないからだ。

 

まとめ

多くの人にとって将来はわからないものだ。

社会には大きな問題が存在する。物価上昇、インフレーション、就職難、経済危機、災害、自然破壊、テロリズム、自国および国際社会の闘争不和、難民問題、家庭問題、貧困、飢饉、犯罪、その他の危機問題は、希望を奪い、代わりに絶望をもたらす。

これらの問題に解決策があるのだろうか。多くの場合は「深い挫折」という解決しかない。そのため残念なことに、問題から退き無関心になる人が多くいる。また他の人は、次に何が起こるかなどはどうでも良いことになり諦めの境地に至る。

それはもう既にできることは全部やってみたが、何の結果も得られなかったからである。

 

こんなひどい状況でも幸福感を得ることはできるのだろうか?

できる人もいる。

ただそういう人は考え方が違うようだ。

彼らはこんな風に考えている。

 

自分の周りで起きていることは

ほとんどの場合は

自分にはコントロールできないものなのだ。

でもそれに対してどのように反応するかは

自分でコントロールできる範囲にある。

 

簡単に言うなら、

たとえ困難の真っ最中にあろうとも、幸福感を感じることは可能である。

もし自分がそれを本当に欲するならばの話だが。

 

だから、人生とは自分次第。

幸せも自分次第。

ということは誰でも幸福になれるということなのだ!

 

幸福とは、

周りで起きていることとは関係なく

自分の内面に見つけられるもの。

自分の選び次第!

自分が幸福感を選ぶなら幸福になれる。

 

 

 

イラスト:MCL