ネガテイブスペース、つまり負の空間とは埋まっていない空っぽの空間の事を指す。
これは西洋人の最も苦手な分野だ。
彼らは部屋の中にスペースがあると、何かそこに置きたくなってくる傾向があるのだ。
その領域を埋めないとなぜか落ち着かなくなってくるらしい。
彼らにとって部屋とは生活する場以上の空間で、美術館であり、彼らの美的センスを披露する格好の場なのだ。
例えばこれ↓
この部屋にはネガテイブスペースはゼロ。
楽しそうだけど、随分と落ちつかない部屋だね〜〜〜。
装飾品以外にも彼らは非実用的で用途のない家具を買い求める。
そこに置くと部屋が美しくなるという理由で置く。
つまり彼らにとって家具は彫刻のようなもの。
例えばこういうの。
下の写真はコンソールテーブルと呼ばれている。
おお、美し〜い!
でもなんのため?
これなんかどう?
もうお分かりかと思うが、コンソールテーブルとは要するに飾り物を乗せる台のことである。そしてこのテーブル自体も飾り物なのだ。
こういった装飾を目的とした家具が西洋にはやたらと多い。
飾り物目的でわざわざ買ってくるんですか?
はい。
一見素敵に見えるかもしれない。
でも西洋のやり方を日本の住宅でやると問題が出る。
根本的に日本と西洋の文化も生活様式も異なるからだ。それに家のサイズもかなり違う。
だから日本の家屋で同じものを置くなら非常に目ざわりな感じがしてならない。
ぶつかってつまづくことも十分ありうる。
危険だし、美観を損ねるかもしれない。
なぜなら、
日本はネガテイブスペースを大事にする文化だからなのだ。
それは日本画にもよく表れている。
この墨絵にはネガテイブスペースが上手に取り入れられている。
実際にこの負の空間には何もないように見える。
何も語ってないように一見見える。でも本当は違う。
何もなくともそこには語っているものがあるのだ。
それを理解できるのが日本の文化であるように思う。
ネガテイブがあってこそのポジテイブスペースなのだ。
日本の文学も全部は語らない。読者に任せるという姿勢があるのだ。
こういうのは西洋の文学ではあまり見受けられない。
特に話の終わりに結論が出ていないと西洋人はとても困惑する。
これで終わりなの?と聞いてくる。
自分で想像してください。
と言ったら困った顔をしている。
なんでも説明しないと気が済まない民族なのだ。
「空気を読む」という表現は日本ならではのことで西洋ではこんなのは通用しない。
日本人は見えない空気が読める民族なのだ。
だから部屋をごちゃごちゃと物で埋めなくとも平静を保つことは容易であるはず。
言葉や物体で表現できない何かを捕らえることが得意なのだ。
見えないものに価値を置く文化なのではないだろうか。
何もないスペースにも何かがある。
そこに語っているものはしっかり存在する。
真っ白な頭の中にインスピーレーションが浮かぶように、そのような空間には深い意味があるように感じる。
シンプルな生き方やシンプルなものの中には心の奥底に届くものがあると感じている。
不必要な家具は無駄な考え方や生き方を象徴している。
そんなものは家に入れない方がいい。心や頭の中に入れない方がいい。
何かその空間を他の物で埋めなくとも、自分の心に正直に生きていれば、その何もない空間を怖がることはない。
多くを語らずとも感じるものはある。いや、語らない方がいい。
空っぽの空間には魂の真髄に響く語りかけがあるように感じる。
それは究極的には自分との対話につながるのではないだろうか。