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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

Corona Scare (コロナスケア)

学校閉鎖

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日本に住むアメリカ人家族。学校閉鎖で喜ぶ!(出典:https://www.youtube.com/watch?v=9Ln3FEj2-zM

https://www.youtube.com/watch?v=9Ln3FEj2-zM

(ユーチューブの家族の様子は最初の半分だけ。後半はスキー場面。)

 

コロナウィルス感染を防ぐために、日本の安倍総理が小、中、高の学校を閉鎖すると聞いた。それに対しての多くの反対意見も目についた。

おおむねがそのことにより困った事態が起きるのではという憶測に対する苦情だ。

 

それなら他に何かいい方法があるのだろうか?

それがわたしが感じたことだった。

社会に問題が生じると、政治家が問題解決のための策を講じるが、この策が国民全員を満足させるというのはまずありえないと思う。

会社もこれに然りである。

 

ある状況下で、様々な面から検討した結果、どれも100%満足ではないが決断を迫られて講じることが多いのではないだろうか。

松下幸之助氏が、「決断する時に100%確かというのはない。65%くらいでよしとすることも許されるのでは」というようなことを語っていたことがある。

そんなものだと思う。

 

ニュースを見ていて安倍総理の辛い心の内を察した。

指導的立場にある人のストレスは生半可ではない。

国民全員プラス全在日外国人の命が彼にかかっている。

国の経済も世界の経済も彼にかかっている。

オリンピックも控えているし。

どうするの?

ああかわいそう。

こんな重たいプレッシャーに日々耐えているかと思うと、とても彼のせいにはできない。

 

安倍総理の決断が気に入らない人は、他によい策を提案したら良いのではないだろうか。他の提案がないなら文句を言っても始まらない気がする。

このように、社会もしくは自分の人生がうまくいかないと、それを周りのせいにするのはもっとも簡単だ。社会の問題だけでなく人の不幸の源は政治家のせいという人もいる。確かにそういう場合もなくはない。

でも政治家がすべての国民の生活を豊かにし社会問題をゼロにすることは不可能なのだ。一方を改善すればまた一方が困ったりする。そんなものだ。

 

それに生きている限りは問題に遭遇するものだ。結局のところこの世の中は完全ではなく絶対に完全になどなれない。

だから、この不完全な世の中でなるべく幸せに生きていくことが人生の大きな課題なのだ。ということは、もしわたしたちが完全を要求したり期待したりしなければ、幸せを手に入れるのはより容易になるのではないだろうか。

そして現実的になることは問題を解決する能力を引き上げることになるのではないだろうか。

 

コロナへの恐怖

実は先日、4月の初めに出席予定の国際カンファレンスがあるが、このコロナのせいで米国以外からの参加者は来ないようにという通達が来た。当然自分は米国側からの参加なのだが、中国人と間違われて差別されるかもと懸念している。日本人の駐在の同僚がここより北部のあるレストランから出てくる時に、子供に"No Chinese!"と言われたからだ。

う〜ん。行きたくなくなってきた。

でも、そうやって白い目で見られるのは確かに嫌だけれどコロナウィルスに冒される方が重大問題だ。

それなら本当にコロナウィルスは報道されているほど危険なものなのだろうか?

コロナウィルスはインフルエンザよりも患者数も死亡数も(今のところ)少ない。でも薬がないことから免疫の低い人(自分のような人)には特に危険らしい。

 

数字で見てみると、

2月28日時点で

コロナの患者は78,498人(主に中国)。死亡数:2715人。

今冬のインフルエンザ患者は米国のみで、約26,000,000人。

入院患者数は約250,000人。死亡数は約14,000人。

https://www.livescience.com/new-coronavirus-compare-with-flu.html

 

な〜んだ。大したことじないじゃん。

それならこの大騒ぎはどこからきているの?

「恐れ」からのような気がする。

だとしたら、もしかしてウィルス菌より危険なのは「恐れ」?

これがパニックの原因?

 

パンデミックではまだないようなことが言われているが、もうすでにパンデミックという感じではないか。でも正式にそう声明しない理由は、この「恐れ」が世界恐慌につながるからだろうか。やはり経済的な理由が主だからか。そして経済破綻の可能性が益々「恐怖心」を煽り立てているように見えてならない。

 

いずれにせよ、わたしはもしコロナウィルスに感染したら家族には悪いけど別にどうでもいいと思っている。病気になる時はなるし死ぬ時も死ぬ。未然に防げるなら、対策を講じるけれど、100%というのはやっぱりない。自分にできることをしてそれでも罹ったら、それは仕方がない。ガタガタ騒いでも仕方がないのだ。いさぎよく運命を受け入れるしかない。その方が幸せではないだろうか。

 

それに、この「恐れ」はストレスをもたらし、このストレスこそが最も怖い怪物なのだということを忘れてはならない。

 

なぜなら、

ストレスが病原菌をやっつける体の機能を

シャットダウンさせるからだ。

この現実をよくよく理解するなら、心配しないで「どんとこい」くらいに構えていた方が菌対策に効きそうな気がする。

もしわたしがコロナウィルス菌に感染したら、回復すると信じて養生するのだ。目が開けていられるならたまっていた本を読みまくり、もし動けるなら絵を描いてヨガでもするつもり。

お〜。なんか楽しそう!

 

さて、

ゆっくりできるのはいいけど、仕事に行かないと収入が減るのが問題だね。でもケチ生活を余儀なくしてきたお蔭で貯金がわずかながらある。だからその貯金でその間は生き延びようと思っている。

 

コロナウィルスは気温が上がれば消えるでしょう。

景気も回復するでしょう。

だから恐れは無用。

安心立命。

 

 

イラスト:MCL