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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

アフターコロナは備蓄の時代?ミニマリズムもさようなら?

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(出典:https://wsimag.com/economy-and-politics/61971-rebuilding-after-corona)

 

アフターコロナというけれど

我が家は滅多なことがない限りは(食料以外の)新品を買わない。

ほとんどがセカンドハンド店(リサイクルショップ)で用を済ます。

実は7月1日にこのセカンドハンド店に寄付品を持って行った。

それも3店もハシゴしてしまった!

なぜなら

どこも受け取り部門は休業だったからだ。

店のウィンドウにはコロナのため7月20日まで休業と張り紙がしてあった。

 

他にバーやナイトクラブが再び強制休業にさせられた。

地元だけで倒産の憂き目にあった小売業は今のところ11件。

チェーン店舗で閉鎖に追いやられたところもちらほら。

 

先週あたりから小売店にマイバックを持ってきてはいけないという御触れが知事から出た。

顧客の持参する入れ物にはコロナ菌がついているかもしれないから危険だというのだ。

それでレジ袋だけを使用することになって。

エコを取るかコロナ退治を取るか。二者選択でコロナ菌退治を優先したのだ。

店によってはレジ袋を使わないと袋代を合計金額から引いてくれるところもありそれをあてにしていたのに。。。。(日本はレジ袋の有料化と聞いたけど)

夫の勤務する大学もこの秋の通学のクラスの99%以上がオンライン授業になる。

 

7月13日にはカリフォルニア全州の屋内施設が閉鎖された。

例えば、レストラン、バー、レストラン、ジム、美容院、床屋、教会、映画館、ショッピングモールが再度閉鎖。

また〜!?

これに習って他の数州も屋内施設を再度閉鎖した。

一体いつ解除されるだろうか?

 

あれれ?

巷ではアフターコロナ時代に突入したと言われていたはず。

ということはコロナに振り回されるライフスタイルは終わったはず。

 

でもアフター時代もコロナの余波だけでなくコロナ自体が続いている。

ということは実はまだアフター時代には入っていないってこと?

 ええ〜?

 

ライフスタイルの変化

長引くコロナ禍で生活様式にも影響が出ている。

 

つい最近までは店が開いていても、外で待たないといけないこともあった。

予約を取らないといけない時もある。それに感染者は日に日に増加している。

このため多くの市民は面倒なのであまり買い物に行かなくなってしまった。

 

でも!

オンラインがあるよ〜。

 

確かにオンラインショッピングは便利だがオンラインで買えないものもある。

洋服などはオンラインで買う気にはならない。実際に袖を通してみないと果たしてサイズなどが合うかどうかわからないからである。また画像で見て素敵でも実物は全く予想と異なるということもある。だから買わない。

 

コロナで失業した人もいる。給料を削減された人もいる。

こういう場合はオシャレとか買い物とかどうでもよくなるのだ。

そもそも在宅ワークでは見かけなどどうでもいい。

 

さらばミニマリズム

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スウェーデンのミニマリストダイニング

(出典:https://www.scandinavialist.com/home/2019/3/10/design-of-swedish-ultra-minimalism

こういうことがあると、長らく流行りだったミニマリズムはうまくいかない。

ミニマリズムというのはテクノロジードリブンのライフスタイルだ。

都会的でスリックなイメージが強い。

物がないだけでなく、少数の持ち物も厳選されている上、当然安物ではない。

極めてオシャレなイメージだ。

どう見ても独身者及び一人っ子のみの核家族向き。

 

はっきり言って家庭的で暖かい雰囲気からはかけ離れている。

ごみごみした家も住みづらいが、

社会問題があるときこそ人は心が温まるような環境を求める感じがしてならない。

 

家庭というのは一般的にちょっと乱雑なものだ。

子供がいる家庭は特にそうなりやすい。

物が溢れている場合も多い。

でもそれが生活というものではないだろうか。

 

家族みんなが一日中家にいてミニマリズムって可能なのだろうか?

そもそも子供がいるっていうこと自体がミニマリズムに反しているのでは?

自粛が長引き家にこもるようになり、

住まいの目的は生活にある事を再度認識したいい機会であった気がする。

 

この生活だが

生活には故障が伴う。

破壊もある。

でもミニマリストが物を生産したり修復したりするイメージはない。

そんなことをすれば物が増えるからだ。

 

ミニマリズムはそもそも経済活動が活発で豊かな時代のトレンドだ。

物に溢れた生活を見直しする動向だったのだ。

だからミニマリリズムは時に適っていた。

 

スッキリと少しの物で暮らすという表現も流行った。

物に振り回されるのではなく、

少数のときめくものだけを大切にし、

必要な時にだけ補充する自制心を要求するライフスタイルだ。

実に納得できる。

 

でもこれからの時代にこれは問題かもしれない。

補充したくとも補充できない場合もあるかもしれないからだ。

 

今あるものを修理するって手もある!リメイクという手もある。

でも壊れても直せない場合もある。

直せない人もいる。

買えないこともある。

注文してもなかなか届かないこともある。

ちなみにうちが注文したトイレットペーパーは届くまで3ヶ月かかった!

ハイドロジェンプロキサイド(オキシドール)は4ヶ月!

 

ついでに給料削減や失業もある。

ミニマリズムとかそういう理想を語っている場合じゃあない。

厳しい現実に対応しないといけないのだ。

(まあ、ものを売れば少しは家計の足しになるという場合もありますが)

 

備蓄の時代

だから

アフターコロナは備蓄の時代になると思う。

ミニマリズムは特に必要もない類似品を多数所有することを止めることを擁護していた。

ものは少なく、滅多に使わないものは所有しないという概念だった。

けれども今後はこのような概念は消えることはなくとも流行の先端から足を遠のかせる気がする。

なぜならものが簡単に手に入らないなら、また失業して買えないなら、

ミニマリズムとは反対方向を行く「蓄える」という概念が流行ると予測される。

そして当然「蓄える」と物が増える。

だから、反ミニマリズム。

ということはマキシマリズム。

また不安定な経済への対策として当然貯金にも励むであろう。

 

そう。

もしもの時のために各自が「備える」ことが重要視される。

所詮、国と社会に依存しても限度があるということにやっと気がついたのだ。

 

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フードバンクで食料をもらうために並ぶ人。

(出典:https://www.foodbanknyc.org/covid-19/

 

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ホームレスシェルター内のスープキッチンで食事をもらう人々。

(出典:https://www.post-gazette.com/local/city/2017/11/16/Pittsburgh-feeding-homeless-thanksgiving-volunteers-shelters-soup-kitchens/stories/201711190037

アメリカでは失業などで貧困に陥るとホームレスになる確率が上がりそのための施設がある(めちゃ足らないけど)。そして彼らを食べさせるスープキッチンもあり、NPO団体や多くのキリスト教会の慈善活動として実施している。通常は「万年ホームレス」のような人々がスープキッチンにやってくるが、今年はごくごく普通の人が大半となった。

国から支給される補助金は家賃や家の月賦や光熱費に回され、食事までカバーできなくなる。だから慈善団体に頼るのだ。

実は先日、困っている人たちのためにと、我が家の100缶(巨大サイズ)の小麦をフードバンクに寄付して来た。予想をはるかに超えるニーズでてんてこ舞いしていたためかなり待たされた。

おまけに食材が全然足らないということだった。通常大多数の寄付はレストランやホテルや企業からだが、どちらも景気が悪く人助けどころではない。

 

家族のために貯蔵していたのだが、たった今この瞬間に食物が必要な人がいるのだからそちらに回すことにした。

本当に家の貯蔵品が役に立って良かった。少しは人助けができたようだ。

でも本音はアメリカよりも、本当に飢饉に陥っているイエメンにでも送ってあげたかった。アメリカでは食べるものがないとかいっても所詮肥満大国。1ヶ月くらい食べなくとも絶対死なないくらい体内に食糧貯蔵をしている人が多い(自分も含めて!😅)

一日3食なんて絶対必要ない!

でもイエメンの人々は一日一食にも有り付けない。

水だけ飲んで飢えをしのいでいるのだ。😭

 

こんな写真を見ると胸が締め付けられる思いがしてたまらない。

 

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イエメンの飢餓に苦しむ子供(出典:https://www.independent.co.uk/topic/starvation

イエメンは、戦争、コロナ、バッタ、経済危機、医療システムの破滅などの同時多発問題で、国民は大変苦しんでおり飢餓で生死をさまよう人も多数出てきている。

 

飢餓で苦しむ人がおり、一方では肥満で悩む人がいる。

それがこの世界の現実でそれを思うと心が苦しい。

だから自分たちのできることで何か助けたいと思うが、助けるためには、助けられる各個人が本当の意味で「自立」していないといけないのだ。

「自立」とは他の人に頼らないでも生けていけることを指す。

その「自立」とは経済的だけでなく、精神的や能力などの他の様々なエリアでの自立を意味する。備蓄もそれに入る。

自分が自立して初めて他の人を助けられる立場になれるのではないだろうか。

 

だからこれからは「備蓄」という概念がミニマリズムに取って変わるに違いない。

現在の不安定な世の中で生き延びるためには、

「備えあれば憂いなし」の概念が脚光を浴びるのではないだろうか。

そんな気がしてならない。

 

イラスト:MCL