選挙は2週間半後に控えており、市民もどうしようか頭を抱えているようだ。
世の中には心を騒がせるような様々な事件が今も起きており、暗く悪いニュースしか存在しないかのごとくだ。(日本は明るいニュースとか面白いニュースもありますが、アメリカのニュースってこういう感じです。)
確かにニュースを見て世界情勢をある程度は熟知していることも大切かもしれない。
でも毎日暗いニュースを見ていていいことはないように思える。
特に今は二つの党が互いの悪口を言い合っているのしか見えない。
こんなのに常に触れていると
自分の精神も暗くなっていき、口から出る言葉も暗い類のみ。
結果的に周りにいる人にも悪い影響を及ぼすようだ。
だから私は最近はあえてニュースを避けるようにしている。
コロナも当分消えないでしょうし、社会の問題がゼロになることもないのだ。
ひとつが収束すればまた一つ。
そのたびに一喜一憂していればキリがない。
考えてもいただきたい。
そもそも人類の発祥から理想郷が築かれたことなど全くない。
比較的いい社会はある。(それでも文句を言っている人はいる)
ユートピアはないのだ。
改善はできる。
だとしても完全な社会はないのだ。
だからこの不完全で問題山ほどの世界で生きていくしかないのだ。
あああ〜〜〜。
確かにそんなふうに思うともっと暗くなってくる。
だから問題ありの世の中にもいいこともあり、美しいこともあるのだから、
そこを見るしかないと思う。
それには自分の人生の中の感謝できることを一つ一つ口に出して数えていくといい。
つまり周りの出来事に集中するのではなく自分の心の中に集中することが大切であるように思える。
人間社会でどんな騒動が起きていようとも自然は黙々と淡々と季節を繰り返している。
今ミシガンは紅葉が日に日に進み外が煌めいてきている。
こんな自然をただ眺めているだけでそんな騒動は忘れてしまうから不思議だ。
我が家に問題がないわけではない。
誰に紹介しても恥ずかしくないような子供がいるわけでもない。
親子関係がパーフェクトというわけでもない。
健康の問題も結構あったりする。(私は交通事故の後遺症が治っていないし、最近息切れがするし、おまけにコレステロールが高い!夫は喘息持ちで先天性の膝の問題があり、背中の筋肉の問題がある。)
流行の素敵な服でクローゼットが埋まっているわけでもない。
お洒落な日本の女性に比べるなら確実に質素の方に入るに違いない。
家の中が常に整理整頓されていて清潔というわけでもない。
将来の心配がゼロというわけでもない。
たくさんの資産があるわけでもない。
でも食べものに困っているわけでもなく
ボロでも住む家があり(ネズミと同居だけど。。。😅)
不完全でも守られていると感じている。
私はユートピアに期待などしていない。
そんなものはないし絶対来ないとわかっているからだ。
たとえユートピアにかなり近い社会を作れたとしても
人間というのはどうせ文句ばっかり言っているだろう。
だからどんなに良くなっても愚痴と文句は消えない。
人間は感謝を知らない動物なのだ。
他の言葉で言えば、向上心が高いと言えるかもしれない。
でもその向上心にも限界がある。
感謝以外に答えはないように思える。
今の状態である程度は満足し、
もし改善余地があるならもちろん努力も意味がある。
ただその改善も完璧でなくて良いのではないだろうか。
自然には人間が考えるような完璧性というのはない。
紅葉で木々は鮮やかに染まり完璧な絵画のように見える。けれどもいずれ葉は落ち華やかな色合いは消え、地面に朽ちていくのだ。そこに雨が降り雪が積もり、春になれば肉眼には跡形もないような姿となる。
だとしても、一見不完璧に見えるものが実は完璧なのかもしれない。でもそれは外面を見ている限りは理解しがたいものであるように思う。
不完全と不完璧にイライラするなら最初からそんな到達できない目標など立てないほうがいい。
できる範囲でいいのだ。それで満足し感謝するだけ。
短い生涯を幸せに生きるためには
ある程度で満足する心と感謝の心が鍵のように感じる。
”Count your blessing.” (「恵みを数えよ」英語圏でよく使われる表現)
暗いニュースに心を奪われるのではなくて、自分の心の中や目の前の美しい出来事に目を向ければ幸せを享受できるのではないだろうか。