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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

なんでも繕って節約

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ボロボロのシーツ。

先進国ではどこでも断捨離が盛ん。

実は自分も断捨離に励むタイプだけれど、処分しないものもかなりある。

例えばボロボロのシーツ。

 

アメリカは、シーツは2枚のセットで売っている。

なぜかというと、この国ではシーツは一人で2枚使うからだ。

要するにシーツに体がサンドイッチされている感じになる。

実はそのセットが結構な値段なのだ。

おまけに私は100%の木綿しか買わないので余計に高い。

大体、1セット40ドル(4000円)はする。サイズが大きいともっとする。

このシーツの下は一年で破れてくるので、家族6人だと毎年240ドル(2万4千円)かかることになる。ということは10年で2400ドル(24万円!)!

 

だから買わないで繕っている。

上のシーツはもう何回も繕い直しているけど、これを体にまとって外出するわけでもないし、

寝づらいわけでもないし、全く問題がない。

 

自分の周りを見てみても、シーツを繕う人はいないと思う。

ちなみにシーツだけでなく、わたしは下着も靴下も繕う。

友人の一人はそんなわたしを見て「時間の無駄」と馬鹿にしていた。

でも言いたい人には言わせておくだけ。

実際、こういう人は使い捨て文化のアメリカには嫌なくらいいる。

 

わたしは黙って彼女の顔を見て心の中でこう言った。

「あなたの家には貯金がないけど、うちにはある。それはなぜ?」と。

 

繕い終わった後は、地球の資源を無駄にしなかったので充足感にも満たされる。

だからボロになったからといって捨てない。全て使い切るようにしている。

それがエコなライフスタイルなのでは。

 

日本の方はどうも周りにどう思われているか気にする方が多いようだけれど、格好いいライフスタイルを目指すことよりも、自分の身の丈に合う生活を目指す方が賢明であると思う。エコに生きたいなら、それは流行で格好いいからではなくて信条の問題。

そもそも
人にどう思われているかなんてどうでもいいことなのだ。

流行に気を遣いすぎる人というのは自分に自信がない人が多いような気がする。

空っぽの中身を隠すために外を立派にするのではないだろうか。

服であれば、ボロをまとうことが立派とは言わないけれど、清潔でこざっぱりとしていて自分に似合っていればあとは二次的なことのように思える。

そうそう、人間外見よりも中身が一番!

これにはインテリアも入る。わざわざセンスよく暮らすことは余計なお金を使ってまですることではないと思う。もちろん経済的に余裕のある方はそうしたらいい。でもそうでなければそんなことは最も大切なことではないのではないだろうか。

収入の範囲内というか、収入の範囲以下で生活することの方が最も賢明な気がする。

 

それに、

人の目を無視できるようになると心が軽くなり自由に生きられる。

以前、そのように人の目を気にし、自分のステータスをものすごく気にする日本から来た友人がいた。

 

アメリカまで来て、なんでそういう日本特有の古い考え方に固執するのか理解に苦しむ。価値観の違いなのだろうか。

 

夫とわたしは、そうやって4人分の子供の大学の学費を賄い、家を買い、退職金を貯めてきたのだ。

切り詰めて生活することが悲しいとも思わないし、実はそういう生活は結構面白いのだ。

なぜなら、なんでも買うのは簡単だけど、節約はかなり頭を使うのだ。

だからそういう面が面白いし創造性に富んでいると思っている。

 

人は人。

自分は自分。

自分が主体で生きないと人生は面白くないし、絶対不幸。

 

 

 

 

 

 

イラスト:MCL