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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

ランプのある暮らしと物質主義に思うこと


我が家の暮らしかたの一部は古風で素朴な感じという人がいる。

その一つとしてランプの使用が当たる。

20年前に停電時のためにと買い求めたのだけれど、

最近は節約のために日常的に使うようになった。

それで、結構気にっている。

まず上品なシルエットが気にっている。

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ダイニングテーブルの上のランプ。真ん中の花瓶はスペイン製で生けてあるのは庭の木の実。

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台所で食器を洗うのもランプで充分。

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廊下も電気をつけないでランプで移動。入浴もランプだけの照明で充分。寝室もランプだけ。 

ちょっと暗いような感じだけれど、活字を読むわけでないのでこれで充分。

ランプの光は電気の光のように明るくはない。

柔らかく静か。

そんなところが気に入っている。

 

わたしは最先端の電気製品などにほぼ興味がない。

ラップトップも機能が完全にストップするまで使い切る。

だから壊れない限りは色々物を買い求めたりしない。

実は壊れても買い替えないことの方が多い。

本当はそんなものなくても特に困りはしない。

どうしても必要なら修理して使う(YouTubeで勉強して😅)。

または手元にある代用品をさがす。

それでも買い換えないといけない場合は新品ではなく安い中古品しか検討しない。

 

それは新しくより便利なものを追いかけることには限りがあり、終わりがないからだ。

それを続けることは精神的に疲れる。

普通の人の暮らしは、いつも何を買うかと消費のことばかり考えている暮らし。

そういう暮らしにうんざりなのだ。

そういう暮らし方に意味はあるのだろうか。

ただ疲れるだけ。

捨てる文化は地球のゴミを増やすことにもつながる。

エコじゃない。

 

人間のしている消費活動のおかげで動物や植物は共存していくことができない。

近所で、よくスカンクや鹿やアライグマが自動車にひかれて死んでいるのを見かける。

どうせ音楽のボリュームをあげて、スピードを出し、携帯電話で話でもしながら運転していたに違いない。

そもそもここは元々は代々動物だけの住処だったのだ。そこに人間が侵入してきて自分勝手に生きている。都会の文化を持ってきて騒々しく暮らしている。

そういう人は都会に残っているべきなのだ。

でも自然を求めてやってくる。

 

物質主義の果ては見えている。

人間は自分たちで自分たちの問題を増やしているのだ。

そして自分たちで自分たちの首を絞めている。

その問題を解決するために政治家は税金を増やし市民の生活を圧迫しているのも真実。

悪循環なのだ。

 

どんなにお金を儲けても

汚染された地球にずっと住み続けることはできない。

自分だけがよければそれでいいのだろうか。

それに一人だけ生き残ったって幸せじゃない。

 

足ることを学ぶことを知らない人間にいつ天罰を下ってもおかしくはないのだ。

 

だから自分たちは世界とは反対方向に向かって歩んでいる。

ランプを使うのは信条のため。

つまり地球のエネルギー資源を無駄にしないため。

節約のため。

そして心の安らぎのため。

 

 

 

 

 

 

イラスト:MCL