日本特有の精神疾患で社会現象は引きこもりかもしれない。
彼らの中には
日本は生きづらい、とか
人の目が気になる、と言われる方が多いようだ。
わたしは日本よりアメリカの方が住んでいる期間が長い。
それでどちらが人の目が気になるかといえば
アメリカだ。
日本にいた時、人の目など気になったことはほぼない。
でももし、やましいことをしているならそれがバレることが怖くて人の目が気になるかもしれない。一生懸命生きているなら他人の目など気にしている暇はないと思うのだ。
現在暮らしているアメリカは自由の国と言われており、自分の好きなように生きていい、つまり勝手に生きていいい、というイメージが強い。確かにそういう面もなきにしもあらずかもしれない。それでも人の目がものすごく気になることもあるし、住みづらいと思うこともたくさんある。
ではなぜアメリカで他人の目が気になるのか
なぜ住みづらいのか
その一要因をご説明したい。
アメリカ特有の問題
アメリカは多様性の国でありとあらゆる種類の人間が入り混じって住んでいる国である。
そういう社会は理想社会という人もいるが、私はそうは思わない。
もし人間が皆できていて立派な人ばかりならそうなるが、現実は異なる。
よって不完全な多人種多文化社会では当然問題が多く起きる。
理想社会からは程遠い。
住みづらい事なんて山ほどあるものだ。
私はこの国に生きていて人の目が気になることが多い。
人種差別があるからだ。
それを無視して生きるには強い人間にならないといけないと常々感じている。
人の目など無視できるほどの強固な自己概念がないとこの国ではつぶされてしまう。
つぶされて愚痴を言っても「ネガテイブ」で「能力のない人間」とみなされる。
日本では「自分」を出さずになるべく温情に「長いものに巻かれて」生きていくことが最も平和で最も賢いという考えがある。このような考え方があるため日本は平和で、それを最も大切にする文化なのだと思う。当然これは悪いことではない。でもこれをもしストイックに実践するなら、自己を確立できないままの大人が出来上がる確率も上がるかもしれない。
これはおそらく日本固有の考え方で外国では通用しないと思われる。
アメリカでの人種差別の一例
近所には選挙などとっくに終わったにもかかわらず、"Black Life Matter"の看板ががまだ立ったままのところもある。
自分が彼らの家の前を通り思うことはこれ。
彼らは私が道を散歩して挨拶をしても「あっちむいてホイ」をする人たちだ。
彼らは、こういう状況では、目を合わせないようにする。聞かなかったことにする。見なかったことにする。彼らにとって私という人間は存在していない。
だから人に会った時に誰に挨拶をしていいか迷うことが多い。無視されるのは拒否を意味し嫌な気分にさせられる。一体私が彼らに何をしたというのだろう。何もしていない。
彼らは「黒人の命は大切」と看板を出しても、実際黒人の人に挨拶をするとか彼らの住んでいる街に行こうとはしない。友達になるなんてまずもっとありえない。またアフリカの難民に寄付をしても彼らを自分の家に招くのは嫌なのである。また隣りに引っ越してくるなんで考えられないことなのだ。
口では理想的なことを言っているが心の中は違う。そういう人が多い。
他のどの人種も通常はこういうことはしない。
白人だけが主に他人種にするのだ。
でも差別対象である日本人が同じ差別対象の他の有色人種(善良な市民)に大してあからさまに差別をすることもある。知り合いでそういう女性がいた。同じ日本人でこういう人がいることが恥ずかしいと思った。そういう人は自分の無知をかざして歩いているようなものだ。
他にこんなことがあった。
母が何年前に家に来てくれた。
母は毎朝家の道を散歩していた。
それを胡散臭そうに見ていた住民がいたそうだ。
母の帰国直後、家の前の郵便受け(かけ離れているところにあるのだが)満タンのゴミ袋が置いてあった。翌日も。その翌日も。
そしてその翌日に、テイーンらしい男子二人がまたゴミ袋を持ってやってきた。その時我が家の窓に向かってこんな言葉を吐いた。
"Get out of here! Nigger!" (黒人!出て行け!)
Niggerというのはスペイン語の二グロ(意味は黒)からきていてアメリカでは侮辱言葉だ。
?????
うちは黒人ではない。
でも無知な彼らにとって人種は二つしかない。
白人と有色人種。
で、肌の色の白さが問題なのかというとそうでもない。
白人で日焼けしている友人は私より色黒だ。おまけにミシガンという冷帯に住んでいるため色白になりやすい。だからこの人種差別の話を白人の友人に言うと、私は「white
enough」と言われる。ということは色の問題ではなく人種の違いなのだろう。
これはヘイトクライムなので訴訟に出ることもできる。
でもこんなことでいちいち文句を言っていたら毎日訴訟に出ないといけない。
だから無視していた。
その後、親に言われたらしくもうゴミを持っては来なくなった。
親も人種差別をする人に違いない。
人種差別は親から代々受け継がれるのだ。
街にもこういうことがなくもない。
でも田舎に住んでいると件数が上がる。
近所に友達は自然だけ。
近所の人と話などしない。(近所と言ってもそこまで近くはないけど・・・)。
嫌がられないようにプロフィールを低くして目立たないように暮らしている。
人種差別に負けない精神を築くには
このように人種差別が日常化してくるとさすがにこの国は住みづらいと思わざるを得ない。
せめて自分が受けた嫌な扱いを他の人にしないようにするしかない。他の人種の人たちも自分と同じような立場にあるのだから。でも何故か滞在期間の短い日本人の方は「日本人は特別」と思っている人が結構いたりして、こういう無知と誤解は甚だしい。もっと悪いのは「日本人はアジアで最も優秀」とかいう偏見もある。こんなことを言っていては嫌われても当然のことかもしれない。
私は日本にいるときに自分の人種について考えたこともなかった。
でもここでは常にそれを意識させられる。
自分は何者なのか、と。
でもそればかり気にしていると精神が確実に犯される。
だからなるべく無視するしかないのだ。
黒人は本当にずっと苦しんでいる。
彼らは戦わないとまともに扱ってはもらえない。
常に自分の人種のことが気になって仕方がないようだ。
そしてそのことから自尊心が低く自滅行為が多い人が多い。
アジア系は滅多に戦わない。
その代わり白人に負けない分野で静かに戦うのだ。そのことにより
白豪主義的概念をつぶすと聞いている。
例えば、
アジア系がスポーツで黒人や白人に勝つには体型からして無理が多い。
もちろん野球では日本人のプロがいて尊敬されている。
でもあれはごく少数派。
何を武器にアジア系が白人に挑むかはこれだ。
つまり学業。
アジア系が白人に勝つにはトップの成績を取りトップの大学に入り、安定した大企業に就職し黙々と働く。それか医療か法律の分野に進む。
これしかない。
そして学歴もいけるところまで行く。
学歴が高いと白人も黙るのだ。
そういう戦略を選ぶ人が多い。
特に中国系とインド系。
または一族の力を結集して莫大な資産を作り立派な地域の豪邸に住めば何も言われることはない。
でもそこまで這い上がっていくにはやはり競争に勝たないといけない。熾烈な白人を蹴落す勇気と彼らにはない「何か」を武器にして這い上がるのだ。
競争に勝つためには凡人ではダメで自分の明確な考えがないといけない。
要するに人種というバリアを越え尊敬されるような人にならないといけないのだ。
そして自分の人種を誇りに思えるような堂々とした態度でいないといけない。
優しいのはいい。でも内気でおどおとしていたり気弱ではこの国では生きていけない。
草食男女は食われて死ぬだけ。
どこに住んだって問題はある
引きこもりの方は日本は住みづらいと言われているようだが、
こんなアメリカではもっと住みづらいだろう。
それにはっきり言うが住みやすい社会などないのだ。
自分がどうあるかにかかっているように思う。
社会がどうとか、周りがどうとか、そういうことを言っていることがその人を弱く見せる。
弱く謙虚に見せることは弱肉強食のアメリカでは美徳ではない。
強者に利用されて終わり。
そういう国に暮らしていて、神経が過敏になることも多い。
自分をしっかりガードしないといけないからだ。
実際アメリカでそう思っている人はたくさんいる。
前線で戦う気力のない人はこの国に住めないと思う。
これには女性も入る。
女性も大人しくなんてしていられない。
だから言いたいことは
自国で人の目が気になり生きづらいなら
外国ではもっとそうなるだろう。
言葉の壁もある。
結局
どんな国も社会も問題はある。
理想郷はない。
自分がどうあるか、これが最も大切なのではないだろうか。