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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

みんなが幸せな社会って可能なの?

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秋に戻りたい・・・。人は目の前にないものを渇望する。あたかも幸せとは過去と未来の事を指すかのようだ。でも過ぎ去ってしまったことを追いかけても虚しいだけ。未来もどうなるかはわからない。人は本当は’幸せは目の前にある事を忘れている。でも目の前のことは忘れがちなのも事実。それは小さくて目立たないことが多いから。やはり一瞬の喜びを頻繁に見出せる人が幸せな人。

日本は岸田新総理が就任されて期待もとっても大きいみたいだし

本人もやる気満々のように見受けられる。

 

そういえば、就任直後にインタビューされたある女性がこんなことを言われていた。

’みんなが’幸せになれる社会’してくれる’といいですね、と。

 

それって・・・・

絶対ないでしょ。😅

 

どの首相になっても国民全員が常に幸せということはまずあり得ないのだ。

それに何が幸せか人によって違う。

何が不幸かも違う。

さらに、誰かが自分を幸せに’してくれる’と受け身で果たして幸せになれるのだろうか?

 

そもそもこの国民みんなが幸せな世の中って・・・

具体的にどんな社会なのだろうか?

 

多分こんな感じ・・・。

 

みんなが幸せな社会とは

子供たちは皆元気で学校に通い学校が大好きで落ちこぼれはいない。

学習及び発達障害児も必要なサポートを受け生活にうまく適応している。

反抗する子供は皆無。(あり得ない・・・😅)

手のかかる子供も皆無。(あり得ない・・・😅)

いじめは皆無。

病人皆無。(病気はたとえ罹っても確実に治る)

病死皆無。(みんな老死するだけ)

精神疾患者皆無。

医療費無料。(これは行政でどうにかできそうだけど)

学費無料。

悪人皆無。

犯罪皆無。

汚職皆無。

戦争皆無。

国際紛争皆無。

テロリスト皆無。

飢餓皆無。(肥満の人と飢餓の人の格差・・・おかしい・・・)

自然災害皆無。(無理)

自殺者皆無。

公害皆無。

生活苦で苦しむ人皆無。(これもどうにかできそう・・・)

減税社会。(賛成!!!)

福祉は100%整っている。(賛成!でも増税は勘弁して!!!)

 

つまりこれをより簡単に言うなら

悲しみのない社会。

試練のない社会。

 

パラダイス!

エデンの園!

 

これって・・・

歴史と現況を考慮するならありっこないよね〜〜〜。

不可能。😰

 

どんな国でも多かれ少なかれ問題はある

そもそも福祉の整っている北欧でさえも問題はある。

最低限の生活は保障されていても

自殺する人もいるくらいなのだから

国民全員が幸せっていうわけではないのだ。

(その理想国家に入れてもらった難民の方々に文句が多いというのはどう言うこと?)

 

アメリカに住まわれたことのない方はこの国に憧れのようなものがあるみたいだけど、

この国の闇はものすごく深いことを認識されていないことが理由と考えられる。

実際、永住組には問題ばかりで、住みやすいということはない。

福祉の恩恵?我が家には縁のないこと。

中流には恩恵はない。

我が家は徴収されるばかりで税金の恩恵は舗装された道路くらいだ。

そういう社会への不満は終わるところを知らない。

個人的には、政治家に抗議するために

ワシントンDCの国会議事堂までわざわざ出かけて行く人も知っている。

確かに何もしないでのほほんとしているよりはいいのかもしれない。

でもそれをしてもしなくとも変わりはあまりないようだ。

それよりも州代表の議員に市民の意向を伝えたほうが効き目がある。

それでも、結局市民の思い通りにならないことが目立つ。

 

フランス革命後のことをご存知だろうか。

王政が廃止され、市民は輝くような理想郷を期待していたけど、結局その後も血生臭い事件が後をたたず、社会は混沌としていた。人々の暮らしは豊かになったかと言われると・・・そう簡単にはいかなかった。これに忍耐できない市民と民主制度の救世主と期待されていたナポレオン政権に反対する人も多く出てきた。

今は、あの時代に比べればずっとマシなはず。でもフランスではデモが普通のようで頻繁に起こっている。国民性なのか・・・。

 

結局完全な社会は存在しないし、みんなが常に幸せというのも存在しないのだ。

それを忘れている人が多いようだ。

 

完全でなくていい

それなら完全を目指さなくてもいいのかもしれない。

そもそも、エデンの園なら、完全な理想社会なら、生きている根本的な目的を遂げることができない。(それに完全社会は絶対にない。一人一人の望みを全て叶えることも無理。)

この地球に生まれてきた目的は、多くの経験を積み人間的に成長することだから。

 

その成長だけど・・・簡単なことをやっていては成長はない。

困難は成長につきものなのだ。

そして困難の克服こそが生きているという証なのだ。

みんな知恵を絞り改善を試みている。

それが人をより賢くし、成長させている。

 

それに幸せっていうのは社会が全部責任持ってやってくれるものとかじゃあなくて

自分で築き上げるもので、自分次第の部分も大きい。

心の持ちようでもあるという人も多い。

確かに不幸そうに見えても幸せだと思えば幸せだし

不幸だと思えば全部の必要物資が揃っていても不幸なのだ。

 

人間は不幸をわざわざ探しにいく動物と言っても過言ではない。

 

もちろん本当に大変な状況の人もいる。

でもそれを総理や大統領に全面的にお願いしても・・・多分無理があるのだろう。

やってあげたくとも十分にはできないのだろう。

世界のほとんどは貧困層で、まともに食べれない人もたくさんいる。

紛争に巻き込まれ、自然災害にやられ、終わるところを知らない。

根本的に腐った政治家とか国家の影響をバシバシ受けて生きていると

当然大多数が不幸になりやすい。

 

それはまさに不幸を絵に描いたよう。

つまり地獄絵。

 

だから助けようとする団体も存在するし寄付金を送る人もたくさんいる。

それでも十分ではない。

良心を悪用するシステムも存在する。

 

この根本的な原因はどこからくるのだろうか?

地球市民の道徳心の欠如かもしれない。

 

だから不完全な社会を改善していくことは重要。

ただ完全を望めば、落胆がそこに待っている。

所詮人間は不完全・・・だから不完全な決断をする傾向がある。

結果的に社会も完全にはならない。

 

ということは、

ある程度今の状態をそのまま受け入れ、

そこに光を見つけるしか幸福感を得る術はないように感じている。

それが絶対に嫌だという理想主義者はやっぱり自分でどうにかするしかないのだ。

お役所に頼っているだけならがっかりすることばかりに決まっている。

どうにかしてくれるのを待っていてもどうにもならない確率の方が高い気がしてならない。

 

我が家にだって問題はある

社会の問題以前に

よくよく考えてみれば、我が家だっていらないくらい負の出来事で満ちている。

 

成人した子供たちも社会からみればイマイチ。

収入の不安定な子供もいる。

全員健康問題を抱えている。

発達障害や学習障害を多少なりとも抱えている子供もいる。

周囲からは「子育て大失敗」と見られているはずだ。

でも子供たちにはいいところも沢山ある。

それなりに頑張っている。

それなりでいい。

それ以上望まない・・・とひたすら自分に言い聞かせている。

 

夫は身体障害者になってしまった。

足腰はダメで歩行器に捕まりながらじゃあないと移動ができないけど、

老眼だけど、

オツムの方もなんか・・・最近めっきり下降線を辿っていてちんぷんかんぷんな事を口走ることが多くなったけど・・・、

まだ手は使える。

それに今まで働きづくめだった夫はこれでやっと休むことができるようになった。

いいことだ。

おまけにこんな風に体にガタが来ても仕事は安定していて解雇はない。

(公務員ですから・・・😅)

 

自分の人生は恵まれているはずだ。

 

暗闇の中にも光はある 

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https://blog.prepscholar.com/yin-yang-symbol

覚えておくべきことはこれ。

人生には明るみも暗闇もあり、それが混じり合ってできている。(上の図を参照)

そして暗闇の中に小さな明るみがあり、

明るみの中に小さな暗闇も存在している。

それが人生というものだのだ。

陰と陽。それが全事物の原則。

 

だから

全ての出来事は自分が経験すべきことと受け入れ、

そこから学習要素を見つけること。

そしてその現状に明るい面・プラスの面を見出すこと。

それを心がけることが幸福への道だと思う。

 

なるべくなら・・・・

暗闇ではなくて

光のある方向を見たい。

 

生きてるだけで儲けもの。

オーガニックじゃあなくても食べるものがあるだけでありがとう。

隙間風は入るけどとりあえず雨風しのげる住まいがあるだけでありがとう。

冷帯で冬は凍えるけど、その代わり夏は涼しいからありがとう。

 

いつかもっと大病をするかもしれない。

この世を去る日も確実にやってくる。

でもそれでもいい。

死は不幸ではなく

誰もが通る道なのだから。

あがいて余計に生き延びようとも思わない。

死の先には永遠が待っているだけなのだから。

 

心配の要因というものはわざわざ探しにいかなくともそこら中に転がっているものだ。

だからこれ以上変えられない時はこの現状で感謝することも大切かもしれない。

絶対こうじゃなくちゃいけないとか、

こうあるべきとか、

考えなければ

幸せって割と手の届くところにあるのではないだろうか。

代わりに、

もっと肩の力を抜いて・・・目の前にある小さな幸福を探してみる。

 

もし一人一人の地球市民がそうできれば

そういった意味での’みんなが幸せな社会’はやってくるかもしれない。

 

永遠の課題

幸福とは誰もが望んでやまない永遠の課題に違いない。

でもそれは幸福の定義による。

そしてそれは人によって違うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イラスト:MCL