アメリカの南と東にはハリケーンが来る。
そして中西部には竜巻。
どこに住んでも自然災害はつきものだ。
実は今週の月曜日に竜巻がこの辺を通って行った。
そして木々が倒れた。(下は隣の家との境にある木)
我が家のモデムも死んで、ネットが使えなくなった。(今は無事復活!)
今週はまだ病気だったけど(気管支炎)
大学時代の友人と30年ぶりに再開できた。
友人はここは癒しの場所と言っていた。(竜巻で敷地がめちゃくちゃだったけど・・・)
確かに・・・
でも住民はぼおーと庭園を眺めているのではなくメンテナンスが生半可じゃあないのだ。
そこを友人はわかっていない。
都会の人は自然というと眺めるものというイメージなのだろう。
でもそこに住んでいる人にとってはそういうものではなく
戦うものというイメージなのだ。
バルビゾン派の画家ミレーは牧歌的な作品で有名だ。そこには農夫の姿が描かれている。
でも画面には汗水垂らしている様子は伺えない。
それは本当に美しく、でも労働の厳しさは微塵も反映されてはいない。
そしてそれを鑑賞している人はそういう労働を経験したことのない都会の人々であって、輪をかけてほわ〜とした感覚でいるはずだ。
現実とはこういうもの。
私の友人も我が家で骨を休めて同じような気分でいたに違いない。
自然は見るだけにしておいた方がいい。
そのほうが美しい。
でも共存は厳しい。
その厳しさの中で独特の哲学や美学が生まれるのだと思う。
素朴に謙虚に生きている人々の中に見える人生哲学。
自然と共存することの難しさ。
それらを読み取ることができなければただの牧歌的シーンで終わる。
この敷地は牧歌的というより神秘的な森といった感じ。
眺めている限りはね。
現実は戦地・・・(いつもではありませんが)