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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

ライフスタイルは安心と幸福という基準に基づくべき

 

比較的整然としているメープルツリー。でも地面はやっぱりめちゃくちゃ。
めちゃくちゃでも自然は美しい。


コロナの前は断捨離とミニマリズムが流行った。

自分も割とものを処分するほうだ。

ごちゃごちゃしている空間の中にいるとイライラするからだ。

 

でもごちゃごちゃしていても別に平気な人はそれでもいいかと思う。

人はそれぞれ皆違うからみんなが同じライフスタイルでなくてもいい。

ニーズも違う。

ミニマリズムで安心できず幸せと感じなければそれはその人に向かないということ。

自分もある程度は片付けるけど、ほとんど何も持たないとかそういう主張はしない。

アメリカの家に住んでいることもあり収納場所に困っているわけではないし。

 

でも内心は違う。

そんな生活に憧れたりもする。

かといって自分が完全にそうできるかと言われるとそれも違うように感じている。

それは自分が目指しているものとの間に矛盾が生じてしまうからだ。

 

備蓄とスッキリ暮らすことの矛盾

ものをなるべく持たないで、自立して生きるって

矛盾しているかもしれない。

今日1日の食料しかなくて、もし大地震でも起きたらどうするのか。

 

自治体に頼る?

その前に自分でできることってないのだろうか?

そもそも国全体が悲惨な状態なら自治体にも頼れない。😅

 

シンプルに生きることはいいこと。

でも必要なものもある。

スッキリ暮らすのは憧れ。

でももしもの準備も必要。

だから備蓄は大切。

でも備蓄は場所を取る。

ということは、スッキリと備蓄は相容れない性質のものに見える。😅

 

理想的には多少の備蓄はすべきと思う。

特に今は先進国はどこもかしこもインフレ。

自然災害の件数も多く被害も大きい。

我が家にはインフレ前に備蓄していた食料や必需品があるので今のところは困っていない。

それは慌てたりしないためで、安心のため。

自家用車の中には緊急の時のために少量の必需品も置いてある。

置いてあるから車内は適当に片付いて入るけど完全にスッキリとはしていない。

(わたしが片付けても夫が常に汚すから・・・😅)

 

節約とスッキリ暮らすことの矛盾

節約が大切ならなんでも捨てることはできない。

 

捨ててしまって後で買えばいい・・・って

庶民は買えないのです。😓

我が家のように子供が四人もいるところでなんでも捨てるって無理。

必要になった時に買いに行けばいい・・・

買えないって。😅

 

もちろんゴミを溜め込めとは言わない。

どこから見てもゴミなら処分すべき。

 

穴の空いた靴下なんて捨てろ?

自分は修繕してます。😅

下着だって修繕してます。😅😅😅

 

やっぱりどこまでなら許せるのかという基準線を引くべきではないだろうか。

ものを持たずに生きても

安心できなければ意味はない。

幸せだと感じなければ意味はない。

だからライフスタイルというおしゃれな言葉にこだわるのではなくて

安心感と幸福感にこだわるべきなのだ。

それは人によって違う。

だからそれでいいのではないだろうか・

 

全ては個人の選び。結局、究極のシンプルライフは無理。全てをコントロールもできない。

混乱状態の庭。お片付けもコントロールも不可能!(時間なし体力なし!)
シンプルライフとかミニマリズムも限度がある。これでよしとすることも大切。
混乱状態が嫌なら、どこまでなら耐えられるか基準線を引くこともあり。

 

 

イラスト:MCL