前回アメリカ人は大袈裟な表現が多いという話をした。(https://mimosapalette.hatenablog.com/entry/2021/02/13/170434)
では具体的にどんな表現だろうか。
つまり
I love you! (愛してるよ〜!)
Absolutely! (絶対に!)
Definitely! (確実に!)
Compltetly! (完全に!)
Perfect! (完全だよ!)
Super! (最高だよ!)
など。
彼らはこのような絶対的な意味を持つ言葉をいとも簡単にそれもかなり頻繁に使う。
そして語尾には必ず感嘆符が付く!
では今回はこのうちの"love"に焦点を置かせていただきたい。
ラブという言葉の重さ・・・は大してない😅
この「ラブ」という言葉は
日本人から見るととっても重たい深い意味を持っているような感じがする。
それに誰にでも言う表現ではないような気がする。
しかしアメリカ人はこの深く重たい言葉をいとも簡単に使用する。
恋人に囁く時だけではなくて、
家族(親戚)に電話をしたら必ず、 I love you!
伴侶にも当然毎日、I love you! (言わないと離婚になる!)
友達にも I love you! (気にしてるよ、くらいの意味)
見知らぬ人にも I love you! (人を喜ばすために言う。ただの挨拶っぽい)
大勢の人の前でも I love you! (宗教団体とかでよく言っている)
手紙の最後にもI love you! (それじゃあまた、くらいの意味)
😅
こんなに軽々しく使うなら言葉の重みはゼロになる感じがしないではないだろうか。
実際そう感じている。
他の西洋の国も同じなのだろうか?
中南米や欧州や豪州はこれにキスが入る。😰
ヒョエ〜!
そんなに接近しないで〜〜〜〜!😅
ちょっと軽々しいんじゃあないの〜〜〜?😅
日本人的な感性
愛という言葉は美しい言葉だ。
でもどんなにいい言葉でも使いすぎるとその価値が下がるのではないだろうか。
そんな気がしてならない。
愛というのは家族間の愛のように深淵な言葉。
だから大切に使うべきと思うのだ。
本当に心からそう感じた特別な時しか使うべきではない。
確かに彼らが愛を感じていないわけではないのだろう。
でも、見た感じでは、全く何も考えていないで使っている感じがしてならない。
つまりただの挨拶程度の言葉なのか・・・・。
愛情表現がイマイチの日本という国とは極端に異なる文化。
でもやりすぎ、と感じるのは自分が日本人だからなのか。
とはいえ、実はわたしも自分の子供と電話で話すとき、
テキスト(ライン)の最後には必ず ”I love you”と入れる。
夫には一日3回ほど言う。
夫にメールを出すときにもそう入れる。
(さすがに見知らぬ人には言わない。でも女友達に帰り際に言ったりはあるけど😅)
これは自然に口から出てくるというものではなく意識的に言うようにしているだけのこと。
実際、自分で言った後に果たして自分は本当にこの人をそれほどまでに愛しているのか?
と自問していたりすることも多い。
でも、言われた当人は照れ臭そうに素直に喜んでいる。
それなのに、言った張本人の自分はというと、
自分の今言ったことに対して罪悪感を感じたりしている。
やっぱり育った環境というのは恐ろしい。
言われて育たなかった人がこんな言葉を口に出すには努力が必要。
努力して言っているということは半分嘘とも言える。
でも相手が喜んでいるところを見ると、言ってあげた方がいいのかとも思う。
言わなくても察しでわかるだろう、というのが日本の文化。
でも言わなきゃわからないでしょう、というのが西洋の文化。
両方の言いたいことはわかる。
両方間違いではない。
大袈裟なアメリカの文化と情熱的で大袈裟な感情表現を避ける日本の文化。
そんな相反する二つの文化の狭間で戸惑っている自分に気がつく時、
自分は何者なのか悩んだりする。
アメリカにも日本にも属さない人間。
それなら自分は
一人の地球人?💡😅
それが一番かも。