今週から気温が下がり、秋も一気に深まってきた様子。

秋は考え事が増える
秋になると自分の人生について考えることが多い。
つまりこれでよかったのだろうか・・・というようなこと。
当然、後悔していることなど山ほどある。
でも今更後悔しても時計の針を戻すことはできない。
だから後ろを振り向かないで
今を生きる!と意図的に自分に言い聞かせている。
過去を振り返って郷愁の念や後悔の念に駆られるでもなく
見えない未来に希望を託すでもなく
ただ今に生きる。
今やっていることに集中し目の前にある
秋の模様替えを心静かに受け止める。
自然はただ眺めているだけなら
それはそれは美しいものだけど、
落ち葉を見て思うことは秋の労働。
でもこの瞬間だけはそのことは考えないでおこう。
ただじっとこの景色を
何も考えずに鑑賞したい。
秋は物寂しい
それは空が曇り始め、木々の鮮やかさが日に日に増していく姿に、冬がやってくることを肌で感じるからではないだろうか。
「秋深き 隣は何を する人ぞ」と松尾芭蕉が言ったように。
それとなく孤独を感じ始める。
自分の心の中にも隙間風がヒューヒューと吹くようになり
なぜか秋にはそれを自分で認識するようになる。
ぽっかり空いた心の空洞が寂しく感じられ、他の人も同じ気持ちなのか、それとも自分だけなのか・・・などとどうでもいいことも考えたりするのが秋だ。
私と夫は白秋期にいる。
白秋期とは50歳〜65歳前後を指し、実りの時期及びリタイア期でもある。
そのあとにやってくるのは幻冬期。60歳・65歳以降で老年期及び晩年を指している。
この時期は人生の円熟期で、静かな施策や次の段階への移行期とされている。
人生を振り返ってみて、
浮世に振り回されありとあらゆることを心配しながらあくせくと生きたと思う。
本当はその反対に生きたかった。
でもできなかったし
しなかった。
それは自分には勇気が欠けていたし周りの意見に振り回されたからかもしれない。
思うに、
この資本主義社会と
競争社会と
紛争と
あらゆる陰謀に満ちた世の中の全てが
それに関する全てがとっても馬鹿らしく見えてくる。
それらに100%振り回されているのが現代人。
そんな生き方は虚しい生き方ではないだろうか。
先人の多くもそうと語っておられた。
それは皆真実であると今となっては胸を張って言える。
その生き方は本当に虚しい。
でもその虚しさは人生の晩年に近づかないと気づかないものだ。
それは過去を振り返って内省する時間ができるというのも理由だし
残された短い人生をひしひしと感じるからだと思う。
世の中の騒がしいニュースも虚しい
私が子供の時も大学生の時も子育て中も、世の中にこんなにたくさんのニュースはなかった。
(そのうちの何割が真実なのかもいまいち信憑性がない・・・)
こんなにたくさんの情報もなかった。
不便と言えば不便かもしれない。
でもそれはそれでよかったのだと思う。
まず静かだった。
だから自分の心も静かでいられた。
でも今はそういうわけにいかない。
インターネットが普及すればするに従って
これでもかと言わんばかりに人は事件の話をする。
それも世界中の・・・。
そして事件は毎日更新されるときている。
成功への戦略とか、ありとあらゆるプロと自称プロのインフルエンサーのメッセージも心が迷う理由になっている。
こんなのに毎日触れていたら生きていくことが辛くなってきて当たり前。
それは精神が振り回され破壊されてゆくからだ。
それでも人はスマホ中毒になっていて
やめれない。
だからアメリカでも精神疾患患者がとっても増えた。
それに気がつき、うんざりの人は
美しい音楽を聴き
美しい家の紹介動画を観たり
可愛いペットの動画を観たり
美しい自然を見て
心を平安で満たす。
やっぱりそういうふうに生きないと
病気になるんだと思う。
そもそも暗いニュースなどを見つづけることや
さまざまな異なる意見やアドバイスを聴き続けることも
虚しいことなのだ。
もちろん人生には虚しいことが多いからそれが現実といえばそうだけど
そこから離れることを意図的に選択しないと
やっぱり精神疾患を抱えてもおかしくない。
自分の課題が一番大事
気温が下がり霜が降りそうだったので、昨日ニンジンを収穫した。
すぐに葉っぱを切らないといけないんだけどそれを怠ったので既にしょぼくれている。

目の前にある自分の課題。(にんじんの収穫とか・・・😅)
それが一番大事で
それ以外は二時的なこと。
虚しい浮世の出来事に振り回されないで
何が起きていても
誰が何を言おうとも
心静かに生きていきたいものではないか。
そしてそれが心豊かに生きるということだと思う。
















