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Mimosa Palette ライフ学

〜ヨーク村の絵描きが綴る自然で素朴な生活〜

スローフードが流行り?

 

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(出典:https://www.dailysabah.com/food/2019/12/22/time-to-catch-up-with-nature-join-the-slow-food-movement

流行りの言葉にスローフードというのがある。

ファーストフードに対抗してできた造語だ。

 

ご存知のように、ファーストフードはマクドナルドなどのハンバーガーショップのメニューを一般的に指す。だからか、市民はファーストフードは「高カロリー」と「肥満」とイメージしている。

 

アメリカ人は、「ただの食事」などに時間をかけずになるべく合理的に済ませ、残りの時間を「より重要な意義あること」に費やすべきだと思っている人が多い。だからドライブスルー(車の中から注文し受け取り、プラス運転しながら食べるシステム)がある。マクドナルドにもある。

その空いた時間はお金儲けとか遊びに使いたいのだ。だとしてもマックじゃあ物足りないから、スナックを必ず食べる。その結果、アメリカは肥満大国と化してしまった。高カロリー食品の早食いで運動不足(車社会なので)じゃあ結果は見えている。

どうでもいいけど、栄養価の高いバランスのとれた食事を摂ることはお金儲けより大切じゃないの?

健康って一番大切じゃあないの?

そんな馬車馬のように働いていても不健康なら意味ないでしょ?

もっとスローダウンしたら?

 

と、そう思う人もここにもだんだん増えてきた。

それでスローフードムーブメントが起きた。

それは時間をかけて育てられた地元の食材でゆっくり料理をしてゆっくり食べることを意味する。

スローフードとはまた、一般的には家庭料理で、生の材料から心を込めて作った料理のことを指す。要するに普通にある料理のことだ。

例えば味噌汁とか。こんなの日本人なら誰でも作れるでしょ?

ここならスープがこれに当たる。でも果たしてスープを作れる人は何人いるのか。

スーパーに行けば、缶詰のスープが沢山並んでいる。それを買ってくれば簡単ではないか。作るなんで面倒臭い。時間の無駄。そう思っている人が多い。

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(出典:http://theconversation.com/forget-fast-food-slow-down-for-better-well-being-11750

大体がアメリカ人女性は料理があまり得意ではない。

世界を誇る超広い台所は一般的に綺麗で、意識的に汚れないようにしているらしい。

得意でないし台所を綺麗に保つために料理はしない人が多い。

だったら何故台所があるのか?

それは台所は「暖かくて」「家庭的」な雰囲気をもたらすからである。

↓こんな感じ。綺麗でしょ?どこの家の台所もこんな感じでとにかく広くで綺麗!

数多くの戸棚には箱や缶詰が詰まっている。

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(出典:https://homedesignlover.com/kitchen-designs/big-kitchen-design-ideas/

 

ある時うどんの作り方を友人に教えた。

でも「こんな複雑なことはできない」と言われた。

え〜、これが複雑???

じゃあ天ぷらは?

教えてあげたけど

「そんなステップがたくさんある料理は無理」と返された。

 

自分が見た感じでは、誰がスローフードを実践しているのかは全くもって謎。

職場の女性陣も料理をあまりしない人が多い。

夕食が朝食用のシリアルという時が多いのもアメリカではよく聞く話だ。

それならスローフードなんて言葉は彼らは知らないかもしれない。

 

もちろん主婦は料理をもっとやっているが日本人女性が作るような手の込んだものは作っていない。彼らは簡略化を好むからだ。

でもそういう食生活を長年続けていくとやっぱりしっぺ返しが来る。

老化に拍車がかかるのだ。

それでもお腹に何を入れるとかあまり気にしていないようだし、相変わらず肥満大国だし、早食い大食い文化である。ついでに基本的な栄養学の知識もない人が多くて目が点になりそう〜!

 

30年以上この国に住んで思うことは、

アメリカの食文化は貧しい!

これに尽きます。

 

その点、日本はすごい!

その食文化。

世界で一番じゃあないでしょうか?

 

自然の恵み豊かな食材で準備した料理には体だけでなく心を癒す力があるように感じる。

「とりあえずなんでもいいから」式の食事では決して得られない。

また昔ながらの家庭料理の価値は大きいのではないだろうか。

それを家族で囲んでいただくことにも大きな意味があるように感じている。

それがやっと見直されてきたようだ。

今ままでは、とにかく経済的に豊かになることが一番重要で、そのため基本的なことをおろそかにする人が増加する一方だった。

現在、生活のペースを落とし、目の前のシンプルで素朴なことに重要性を見いだすことが深い意味での豊かさをもたらすと思う人が増えてきた。

 

たかが食事、されど食事。

奥義は常に日常にあるように感じる。

 

注:スローフードとは実は地元の食材や食べ物及び料理方法を推進している組織のことを指し1986年にイタリアで創設された。その後世界に広がりアメリカにも渡って来た。生活のスローダウン化の一部として捉えられている。

 

 

 

 

町からマスクが消える!

 

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カナダの店からもマスクが消えた!(出典:https://ottawacitizen.com/news/local-news/ottawa-pharmacies-are-sold-out-of-face-masks-paint-stores-running-out-of-painters-masks

 

コロナウイルス菌のためか町からマスクが消えた!

どこを探してもない。

でも会社の同僚に聞くところによれば日本でも消えたらしい。

やっぱりコロナウイルス菌のせい?

でもマスクしている人見かけないだけど。

 

大体がアメリカ人というのはマスクをしない国民なのだ。

周りの迷惑とか頭にも浮かばないらしい。

マスクをしていると危険人物と思われるのが嫌だからだそうだ。

加えて、危険な菌を持っている人物と見られるから嫌なのだそうだ。

 

思いっきり咳をしていても会社に出勤するのは当たり前。

その時マスクは当然していない。

間近で唾を飛ばしながら話しかけてくる。

せめて咳をする時は手で口を覆うくらいしてもらいたいものだ。

(するように母親から教えられているはずだけど。。。。)

でも手で口を覆うのではなく、手をコップの形にしてそこに向かってコンコンとやっている人が多い。

なんじゃああれ?

それなら、そのコップの形の手を口のそばに置いてやったら?

10センチから15センチも離れていて意味あるわけ?

 

そういえばマスクなんて歯科医と外科医と手術をアシストしている看護師以外つけているのを見たことがない。

 

私は花粉症の季節になると、予防のためにマスクとサングラスと帽子を欠かさない。

その格好でスーパー(米国ではグローサリーストア)に買い物に行くとする。

するとみんなにジロジロ見られる羽目になる。

ものすごい怖い顔でこっちを見ている。

特に子供。

なんか危ない人に見えるらしい。

テロリストとかね。

 

そんなことを気にしていたら後で花粉症で苦しむことになるので

当然無視!

どうぞテロリストでも強盗殺人犯でもなんでも好きに想像してくださって結構です。

 

私は格好が悪いとか、みっともないとか、人になんと思われるとか、そういうことを全く気にしない人間なのである。

人が私をどう思うかなど私の知ったことではないのだ。

 

それはいいとしてアメリカ人もマスクをもっとすべきであると思う。

ゴホンゴホンと激しい咳をしていて人の迷惑だろう〜〜〜〜〜〜〜が!!!!

ま、人の迷惑とか、それに匹敵する言葉がこの国にないから期待するだけ無理ね。

 

だからマスクは店から消えたけれど、今の所町の中でマスクをしている姿はあまり見かけない。多分飛行場だけ?

夫の勤務先の大学で、3−4人ほどの中国人っぽい学生がマスクをしていたらしい。

う〜ん。

ということは、一体誰がマスクを買い占めているのだろうか?

華僑?

やっぱり彼らが買い占めてネット上で本土向けに売りさばいている違いない。

それもかなりの高値で。

それってなんとなくあり得そう〜〜。

 

ネガテイブスペースの真髄とは

ネガテブスペース、つまり負の空間とは埋まっていない空っぽの空間の事を指す。

これは西洋人の最も苦手な分野だ。

 

彼らは部屋の中にスペースがあると、何かそこに置きたくなってくる傾向があるのだ。

その領域を埋めないとなぜか落ち着かなくなってくるらしい。

 

彼らにとって部屋とは生活する場以上の空間で、美術館であり、彼らの美的センスを披露する格好の場なのだ。

例えばこれ↓

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(出典:https://www.wsj.com/articles/the-lush-new-decor-look-thats-vanquishing-minimalism-1485463384

この部屋にはネガテブスペースはゼロ。

楽しそうだけど、随分と落ちつかない部屋だね〜〜〜。

 

装飾品以外にも彼らは非実用的で用途のない家具を買い求める。

そこに置くと部屋が美しくなるという理由で置く。

つまり彼らにとって家具は彫刻のようなもの。

例えばこういうの。

下の写真はコンソールテーブルと呼ばれている。

、美し〜い!

でもなんのため?

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(出典:https://www.google.com/search?q=decorative+console+table&tbm

これなんかどう?

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(出典:https://www.walmart.com/ip/Best-Choice-Products-47in-3-Shelf-Modern-Decorative-Console-Accent-Table-Furniture-for-Entryway-Living-Room-Brown/284253972?

もうお分かりかと思うが、コンソールテーブルとは要するに飾り物を乗せる台のことである。

こういった装飾を目的とした家具が西洋にはやたらと多い。

飾り物だけを乗せるためにわざわざ買ってくるんですか?

はい。

 

一見素敵に見えるかもしれない。

でも西洋のやり方を日本の住宅でやると問題が出る。

根本的に日本と西洋の文化も生活様式も異なるからだ。それに家のサイズもかなり違う。

だから日本の家屋で同じものを置くなら非常に目ざわりな感じがしてならない。

ぶつかってつまづくことも十分ありうる。

危険だし、美観を損ねるかもしれない。

なぜなら、

日本はネガテイブスペースを大事にする文化だからなのだ。

それは日本画にもよく表れている。

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(出典:Takeuchi Seihö; Landscape with Fisherman; Shōwa Period (1926-1989), 1900s; Ink on silk; mounted as a hanging scroll. https://meighanmaley.com/2019/10/14/compositions-of-evanescence-the-nature-of-japanese-art-part-two/

この墨絵にはネガテイブスペースが上手に取り入れられている。

実際にこの負の空間には何もないように見える。

何も語ってないように一見見える。でも本当は違う。

何もなくともそこには語っているものがあるのだ。

それを理解できるのが日本の文化であるように思う。

ネガテイブがあってこそのポジテイブスペースなのだ。

 

日本の文学も全部は語らない。読者に任せるという姿勢があるのだ。

こういうのは西洋の文学ではあまり見受けられない。

特に話の終わりに結論が出ていないと西洋人はとても困惑する。

これで終わりなの?と聞いてくる。

自分で想像してください。

と言ったら困った顔をしている。

なんでも説明しないと気が済まない民族なのだ。

 

「空気を読む」という表現は日本ならではのことで西洋ではこんなのは通用しない。

日本人は見えない空気が読める民族なのだ。

だから部屋をごちゃごちゃと物で埋めなくとも平静を保つことは容易であるはず。

言葉や物体で表現できない何かを捕らえることが得意なのだ。

見えないものに価値を置く文化なのではないだろうか。

 

何もないスペースにも何かがある。

そこに語っているものはしっかり存在する。

真っ白な頭の中にインスピーレーションが浮かぶように、そのような空間には深い意味があるように感じる。

 

シンプルな生き方やシンプルなものの中には心の奥底に届くものがあると感じている。

不必要な家具は無駄な考え方や生き方を象徴している。

そんなものは家に入れない方がいい。心や頭の中に入れない方がいい。

何かその空間を他の物で埋めなくとも、自分の心に正直に生きていれば、その何もない空間を怖がることはない。

多くを語らずとも感じるものはある。いや、語らない方がいい。

空っぽの空間には魂の真髄に響く語りかけがあるように感じる。

それは究極的には自分との対話につながるのではないだろうか。

 

 

 

 

ヘンリー・デビッド・ソローのシンプルライフに思うこと

 

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(出典:https://www.metroparks.net/blog/happy-birthday-henry-david-thoreau/

 

随分前の事になる。

留学先の大学の英文学のクラスでヘンリー・デビッド・ソロー(Henry David Thoreau)について学んだ。

読書課題に彼の作品の一部があったのだ。

「ウオールデン森の生活 (Walden: or The Life in the Wood)」という著書だった。
残りの課題は何だったのか全く覚えていないが、彼については未だに記憶に留まっている。

 

Henry David Thoreau:マサチューセッツ州出身の思想家、詩人、博物学者。

1817年生まれ1862年没。

彼は28歳の時に物質主義社会のもたらす病いを避けるようにこのウオールデン湖畔にやってきた。そして自分の手で家を建てた。

 

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(出典:https://www.apartmenttherapy.com/first-tiny-house-henry-david-thoreau-255479

その家の面積は500 sq ft (46平方メートル)とかなり小さい。

けれども彼は生きていくのにこれで十分だと説いた。

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(出典:https://www.apartmenttherapy.com/first-tiny-house-henry-david-thoreau-255479

この小さな小屋での簡素な自給自足の暮らしを彼は2年間営んだ。

そしてそこでの経験や思いを綴ったものが後に書籍として出版されるに至った。

 

現在でこそ、スモールハウスムーブメントという名称までできているが、あの当時は家の大きさイコール人物の偉大さ及び成功の象徴であり、誰もの憧れだった。だから彼の思想は非常に新鮮だった。

 

彼は著書の中でこのようなことも語っていた。

「胸に思い描いたままの人生を生きよ。

今心配していることは自然と解決するものだ。現に自分の身にそういうことが起きた。」と。

小さな家を自分で建てて森の中で自給自足の生活を営むことが彼の思い描いたままの人生の一コマであったのだ。

 

偉大な人というのはどの時代でもどの地においても似たようことを考えるものである。

彼らの生き方に共通することはやっぱりひとえにこれではないだろうか。

 

自分の心に正直に生きている。

それが彼らにとって雄々しく生きることを意味する。

 

そのため命を縮めることにもなったケースも多々ある。

 

ソローはこうも語っていた。

「人は死の間際になって初めて本気で生きてこなかったことに気づく。」

 

自分は本気で生きてきたのだろうか。

今、そうやって生きているのだろうか。

 

ただなんとなく生きているだけのことの方が多いのではないだろうか。

彼の生き方には考えさせられる。

 

わたしもいつも自分に言い聞かせていることがある。

もしやりたいことがあるならやった方がいい。

失敗を恐れてやらないよりはやって失敗した方がいい。

特に若い時は。

 

わたしは高校生の時に担任に留学がしたいと告げた。

それを聞いて担任は非現実的だと言ってすぐに却下した。

でも人に言われたからとそう簡単にひるむような性格ではなかったので、それならいつか絶対にやってやると心に決めた。でも高校卒業後すぐは無理だとはわかっていた。

先立つものがなかったからだ。

それでまずは国内の大学に進学しようと思ったが、これも先立つ物なしで前途多難。

孤児の大学進学率は低いし、入学したとしても卒業する数はもっと少ない。

どうやって自分の目標を達成しようかと案を練っていた。

最終的に解決策として留学を選んだ。あの当時はアメリカの大学の方が学費が安い上、丁度留学もしたかったので、この方法で一石二鳥を捕ることにした。

その後結婚もしてしまったけれど、随分たってから修士号に進み、博士号も取ってしまった。(特に役にたってないんだけれど。大汗・・・)

自分の例でおこがましいのだが、

本当にやりたかったら道は必ず開けるとわたしは信じている。

 

と言っても残念なことに今は随分慎重派になってしまった。

でも自分の子供たちには言い聞かせている(従っているかどうかは謎だけど)。

勇気を持って進みなさいと。

「完全な安全」など存在しないのだから。

安全ばかり狙うなら何もしない人生になる恐れがある。

でも何もしなくとも

明日あなたは死ぬかもしれない。

交通事故も十分考えられる。

 

やらない言い訳は見苦しいと言われても仕方がない。

だから今日やると決めたことは成し遂げ、

自分の良心に従い後悔のないように生きたいものだ。

 

ソローのような生き方を完全に真似ることは無理だが、

そこから学ぶことはたくさんある。

何よりも彼の名言は今もわたしの心の中で生きている。

 

 

 

 

 

洗顔石鹸なんていらない

 

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(出典:https://en.m.wikipedia.org/wiki/File:No_soap_operas.jpg

わたしは洗顔石鹸というものを使っていない。

このあたりは乾燥しているので、どんなに弱い液体石鹸を使っても皮膚が乾燥する。

そのため石鹸を使うことは皮膚の老化に拍車をかけることになる。

(イコール、シワの増加につながる)

だから石鹸会社には申し訳ないが完全にやめることにした。

 

代わりにハチミツとココナッツオイル/オリーブオイル

を使っている。

え〜?

ハチミツって食べ物でしょ?

そうです。

でも食べ物でも他の用途に使えるのですよ。

石鹸と違い肌に優しく乾燥を防ぎいいことばかりです。

 

ではその洗顔用使用方法からご説明。

 

1。顔面をぬらす。

2。はちみつは小さじ5分の1位を左手のひらに取って右手の指で潰して溶かす。

3。よりしっとり感が欲しい方はココナッツオイルやオリーブオイルを1滴ほど足して混ぜる。

4。2または3を顔につけて、優しくマーサージ

(しばらくそのままのせておくと尚いい)。

5。ぬるま湯ですすぐ。

6。軽くタオルで拭く(ゴシゴシ拭かない)。

 

はちみつは通常は食べ物だが皮膚にもとてもいい。

エジプトのクレオパトラも愛用していた。

傷や火傷や痛みやできものなどに効用があるからだ。

(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4837971/)

 

 

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わたしの使っているハチミツはマヌカハニーと呼ばれておりニュージーランド産である。(上のブランドは、340グラムで30米ドルほどのお値段。つまり日本円で3000円くらいなのでかなり高め。国内産でこれに近い品質のものもあるのでそれでもよし。大切なことはプロバイオティクスが入っていること。茶色のハチミツではなく黄色の結晶入り純ハチミツがお薦め。)

 

2007年にマヌカハニーは米国食品医薬品局により傷の治療の一選択肢として認可された。

ハチミツは抗菌や抗酸化剤の特徴を持つ。水分を維持しながら皮膚を保護するためのバリアを作り、感染を防いでくれる。

(https://www.accessdata.fda.gov/scripts/cdrh/cfdocs/cfpmn/pmn.cfm?ID=K133729).

 

様々な研究結果によると、マヌカハニーは怪我の治療を促進し、生体組織を再生し、火傷の患者の痛みの軽減にも役に立つ。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/289012553; https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3941901/).

 

例として、40人の治癒前の傷につけたところ、88%がサイズにおいて改善が見られた。さらに、傷の治療にふさわしい酸性の環境を作ったことにより治癒期間も著しく短縮された。  (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/25386217).

サウジアラビア(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/25386217)及びギリシャ(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/229853367)の研究によるとマヌカハニーは糖尿病性潰瘍腫瘍にも効く。

   

また、手術後の傷の治療にも効くことが発見され、化学物質の軟膏を塗った場合は皮膚の表面が硬くなるが、マヌカハニーを塗った場合は皮膚の柔軟性を維持することができていた。 (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27429228)

なぜこのようなことが起きるのだろうか。

それは

このマヌカハニーの効果は 抗生物質耐性株(プロバイオティクス)の黄色ブドウ球菌などによるところが大きいからだ。 (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3922154/; https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28438282)

 

またはちみつは炎症にも効く

娘の炎症性ニキビの回復に、同量のハチミツとシナモンを混ぜたものを塗って数時間放置したところ、大きな改善が見られ特に赤みがかなり引いた。

火傷や傷が治るなら、ニキビや炎症にもいいなら、シワやシミにも効果があるはず!

はい効果ありますよ!

 

ハチミツは素晴らしいよ!!!

洗顔石鹸などいらな〜いよ!

 

店で化学物質ざんまいの石鹸などを買わずとも台所用品で多くのことは済ますことができることを人は忘れているのだ。もちろんナチュラルに近い洗顔フォームなども売っているが、自分で作ることができれば使用期限などの心配はないし、もしも合わなかった場合も無駄がない。もしハチミツが自分の皮膚に合わなく捨てたとしても、自然破壊に繋がることもない。エコでナチュラルな方法ではないだろうか。

大体が常に思うことだが、

人間というのはオーガニックな物体なのに、なぜーガニックではないものを体にいれたり付けたりするのだろうか。そんなことをすれば体が拒否するのは目に見えているとちょっと考えればわかるようなことだ。

娘は皮膚が極度の過敏症で、ほとんどの化学製品に反応する。炎症を起こしてしまう。つまり体が「やめてくれ〜〜〜!」と悲鳴をあげているのだ。でもこれはただ単に自然の摂理ということだけ。

よって、今では皮膚に塗るものは全てナチュラルで、奇跡の改善を見ている。

もちろん医者にそんなことを言った暁には怪訝な顔をされ「信ぴょう性に欠ける」などと反論された(医者のプライドをぶっ潰したから?)。

でも、はっきり言って効けばなんでもいいのである。

 

美容や健康に興味のある方にぜひおすすめしたい1品である。

ハチミツは常備薬!

 

   

 

人間関係のシンプル化も大切?

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(出典:https://introductiontohumancommunication.files.wordpress.com/2012/02/cropped-c12.jpg

わたしは

悪いけど

あまり意味のない人間関係は避ける主義だ。

もちろんどんな人も師匠とみなすことが可能で学ぶべきことは必ずある。

人を助けてあげるべき時もある。

でも

人生の中のある地点で自分の立ち位置と相手の立ち位置が大きくずれていっているように感じる時がある。

そんな時は、もうこれ以上関係を持続させることは不可能なのだ。

これには友人だけでなく家族も含まれる。

 

友人の例

わたしの職場に以前よく話をしていた女性の同僚がいる。

彼女は独身で毎年欧州に海外旅行に出かけるのが趣味。

その理由は「欧州の雰囲気が好き」だから味わいたいらしい!

毎年、「今年の欧州旅行」の土産話をしてくれるが、あくびが出るほど退屈!

その国の政治状態とか社会とか深い文化的な事とか知り合った現地の人の事でも話してくれるものかと期待していたが、何年経ってもそれはなかった。

そういうことには興味がないのだろう。

 

彼女の人生はわたしから見ると

ひとえにラクチン!

 

世話をしないといけない子供がいるわけでもなし。

伴侶がいるわけでもなし。

海外にいるので年老いた親の世話とかもなし。

不動産があるわけでもないので家のメンテナンスもなし。

車はリースなので修理はなし。

貯金もたんまりあるし、

残りは趣味に消えているようだが

借金もなし。

大きな健康問題で今困っているわけでもなし。

 

可愛いお菓子を焼いてはワイワイいっている。

あの時40歳くらいだったけれど、精神年齢は23歳に見えた。

悩みなど何もなさそうだった。

 

確かに彼女は明るく楽しい人だ。

ワイワイキャーキャー言っていて

可愛い性格だと思った。

でもそれだけ。

 

自分はそれとは反対に

健康疾患と発達障害の子供に囲まれ、

それに対応するため悪戦苦闘の日々だった。

1エーカーの庭とアメリカサイズの家の手入れ。

それにフルで仕事もしていて

勉強もしていた。

だから彼女がウキウキと語ってくれる可愛いお菓子の話などだんだん聞きたくもなくなってきた。大体が人のレシピで作ったものをフェースブックにアップしているだけ。それに何の価値があるのか???

それでも波風を立てないために「わ〜可愛い〜。素敵!」とかわたしも調子に乗って騒いでみた。

 

アホらしい!

と実は心の中ではそうつぶやいていた。

それにはっきりいって時間の無駄。

こんな会話をしていても得るものはゼロ!

与えるもの?

彼女はわたしの「辛い人生話」に興味はないから、こちらから与えるものもナシ。

 

彼女は職場を変え、

その後音沙汰は消えた。

それで全く問題ないと感じている。

私たちの間には「日本人女性」以外の共通点はないからだ。

でも確かにアクのない典型的な大和撫子でとてもいい人だった。

 

家族の例

我が家の子供達は20代で一応全員大人である。

でも大人からはかけ離れていると常に感じている。

だから、ついつい「賢明な助言」という名の「いらぬお節介」を焼きたくなってくる。

でも一応大人なんだからと、人の人生に口出しをしないように極力気をつけている。

わたしの子供は自分から生まれた人間ではあるけれど、根本的に自分とは異なる人間なのである。つまり他人、イコール他の人間。だから異なる考えを持っていてもそれは当たり前のことで親は受け入れないといけないのだ(当然気に入らないけど)。

わたしの人生の責任は自分自身にあり大人になった子供たちにはない。

教えられることは教えたし、それに沿うことが嫌ならそうすれば良い。親には関係がありそうで関係がなく、子供の選びは自分のコントロールが及ぶ範囲にはない。

だから遠目で見ることにしている。

(もしこれができたなら、親という難関大学に所属している方のストレスの9割は消えていくと保証できる。)

 

伴侶もこれに準ずる。

大人なんだから夫のやり方を尊重すべきで、ほとんど何も言わないで、「ふ〜ん、そうなんだ」とだけ言う。

 

そうやって家族を遠目から見るようにしている。

家族の人生を近くで見ないで遠目で見ることはシンプル化のステップではないだろうか。それは家族に起きていることの全てを自分のことのように取らないことを意味する。

自分の家族の人生の選択に口を挟めば、それは自分の問題となり、自分の生活の複雑化につながる。

で、実際、自分が果たしてどのくらいこれを実践できているかというと・・・

 

実は(ず〜っと)現在進行形状態(汗)!

でも筋トレと同じで実践すればするほど実践力が向上(するはずなんだけど・・)。

 

継続は力なり!

努力は人を裏切らない!

を心に留めて日々前進あるのみ。

 

結論

本当のシンプルライフには物質のみに限らず人間関係も入る。

人間関係のシンプル化とは、意味なしの人付き合いを減らすことがまず第一だ。

自分の立ち位置とかけ離れてしまった人間関係は生活を複雑化させる。無理やり合わせないといけない(個人及びグループも含む)「付き合い」は精神的にきつい。

それは自分の頭(マインド)と心(魂)が分離されどこかで折り目をつけないといけないという焦燥と困惑が自分の中で起きているからである。

だから精神と健康の両方に悪い。

 

もしどうしても維持しなければいけないようなら、「遠目から見る」方法で対処するのはどうだろうか。

 

つまり自分の感情

その人物及び出来事から切り離して

遠くから観察するのである。

 

第二に他人の人生に口出しをしないこと。

口出しは紛争につながり結果的に自分の心の均衡性を失わせることにつながる。

国際間の紛争もこれにしかり?

 

もし自分の人生をより平穏に生きたかったら、人間関係のシンプル化は必須であるように強く感じている。

どうだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

自然と生活の音を聞くことは心の声を聞くことにつながる

街には様々な人口音が入り混じっている。

面白いといえばそうかもしれない。

でも騒音に慣れてしまうのも怖い気がする。

 

最近は、静寂に耐えられない人が多い。

すぐに音楽をつけたりとせわしない。

 

実はわたしも、あまりの静寂だと落ち着かなくなってきてついつい何かの音が恋しくなってしまう。何かしながら音楽を聴くことも多かった。

 

でもある日、常に人口音に触れていると、自分の声が聞こえなくなるということに気がついた。

音楽を聴いたりすることにより、自分の声を打ち消していたのだ。

その事により自分を見失ってしまっていたかのようだった。

それで意識して何も聞かずにいる努力をしてみた。

すると自然の音や生活の音が耳に届くようになってきた。

 

音楽をつけなくとも自然の中に音楽があり、生活の中にも音楽がある。

それはあまりにも静かすぎて気をつけていないとうっかり聞き漏らしてしまいそうに小さな音であることが多い。

 

なんと美しい旋律なのだろうか。

なんと穏やかでなつかしい音だろうか。

子供の時に無くしてしまった忘れ物を見つけたように感じる。

 

 

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(出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ab/William_McTaggart_-_Spring_-_Google_Art_Project.jpg/300px-William_McTaggart_-_Spring_-_Google_Art_Project.jpg

自然の音。

 

雨の音

風の音

雷の音

雪の音

川のせせらぎの音

木の葉の落ちる音

鳥の声

どんぐりを探すリスの足音

 

今それらの音を黙って聞くことがあるだろうか。

 

ザーザー

ピューピュー

ガラーン

シンシン

シトシト

サラサラサラ

ザワザワ

ヒラヒラ

コッコー

カサカサ

 

豊かな音。

清らかな音。

 

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パン焼き。(出典:http://1.bp.blogspot.com/-sfT8jy6MWHE/UAhSpcYrt-I/AAAAAAAAHII/4-C8wQ98G-I/s1600/Helen+Allingham+-+Baking+Bread.jpg

生活の音。

 

洗濯物をたたむ音

窓を開ける音

布団を叩く音

テーブルを拭く音

食器がぶつかる音

台所の水の音

料理をする音

ほうきで床を履く音

クローゼットのドアを開ける音

タンスを開ける音

歯磨きの音

服を着替える音

猫の喉を鳴らす音

 

口をつぐみ

今するべきことをゆっくりやってみる。

そして音に耳を傾けるだけのこと。

音がわたしの心にこだまし

騒がしいわたしの心は黙りこくり

ふんわり軽くなってくる。

 

カタカタ

トントン

コトコト

グツグツ

ギーギー

パンパン

コンコン

パサッパサッ

スースー

キュッキュ

 

幸せな音。

家庭の音。

 

自然は自分に素直に生きていて自分の音を持っている。

生活の音も飾り気のない素直なそれ自体の音。

マインドフルな音。

 

人もマインドフルに生きると、自然や生活の音に心を留められるようになってくる。

そして次第に自分の声も聞こえるようになってくる。

 

自分の声を聞くためには

自分に素直に生きることが必須。

 

素直に生きるためには

今の自分の心に耳を傾けること。

それがマインドフルに生きること。

 

マインドフルに生きるということは、

今この瞬間に起きていることを全六感で受け止め、感じること。

丁寧に生きることでもある。

座禅をくまなくともできること。

 

自分の声。

それを聞き分けることができる人は少ない。

だから今この時だけ

思考を雲の中に追いやり

耳を澄ませてみて。

 

 

 

 

 

 

ウツからの解放はシンプル

ウツからの解放は意外とシンプルである。

うそ〜、とあなたは言うかもしれない。

 

実際、解放されたい方は既に様々なことを試しているというのは存じている。

それでも解決策が見つからないと言われるかもしれない。

そういう方は本当はウツから解放されたくないのかもしれない。

どうだろうか。

 

ウツの最初は感情が揺れることから始まる。

誰でも感情が揺れる時はあるもの。

誰でも感情が落ち込むことくらいある。

ただこれが長引くと「ウツかも」と言われる。

これが何年も続くと本格的に精神病扱いになる。(やばい?)

 

では、ウツになるとどうなるか見てみよう。

まず ウツになると何もする気が無くなる。

つまり動きたくなくなる。

座ってばかりになる。

よって心臓を含める体全体の筋肉が衰えて行く。

だから行動量がどんどん減って行く。

そして達成感のない日々に落ち込んで行く。

そのことによりウツが悪化して行く。

ウツー>動かないー>ウツ悪化ー>動かないー>ウツ悪化ー>

というように終わりがない。

これはしんどい。

だからこれに耐えられなく人生に終止符を無理やり打つ(ウツ?)人もいる。

 

これはエネルギーの法則から見るとこういうことになる。

 

体にはエネルギーセンターと呼ばれるものがありそこにエネルギーが凝縮している。

大まかに分けると全部で7箇所ある。

精神身体ともに健康な人はこのエネルギーの動きが活発でバランスが取れている。

 

でもウツの人の特徴はこれとは異なる。

上半身(特に頭)のエネルギーのみが活性化している。

そして下半身のエネルギーは動いていない。

こういう人は考え事が多いのである。

 

だからウツになると頭でっかちになりやすい。よって悩みが多い。

あなたのマインド、つまり脳があなたの心を支配していることになる。

こうなると、怖くて何も行動する勇気が起きない。

 

だからバランスよくエネルギーを身体中に循環させることが効く。

まず起きた時にタラタラと動かない。

 

もしあなたの足が動くなら、

いきなり起きて、着替えをして、トイレに行って、水を飲んだら、外に行こう。

そして走る。

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(出典:https://content.active.com/Assets/Active.com+Content+Site+Digital+Assets/Running/Articles/An+Ode+to+Slow+Runners/runner-carousel.jpg

この全ての工程をタラタラとやってはいけない。

さっさと何も考えずにするのだ。

そう感情に支配されないように何も考えないのだ。
嫌だとか寒い、とかいう感情が浮かんできたら、即刻抹消すべし!

 

途中で速度をいくらでも落としてもいい。

でも完全に止まってはダメ。

縄跳びでもいい。

とにかく動きまくる。

最初はゆっくりとマイペースで始めてもいい。

このことによってエネルギーが身体中に回る。

脳にも酸素が行く。

セロトニンも分泌される。

そしてこのような達成感はあなたの心を元気にしてくれるだろう。

確実に気持ちが変わるのを感じることだろう。

 

これを一日するのは誰でもできる。

毎日することがコツ。

そしてあなたのウツは次第に影をひそめて行くに違いない。

 

ご存知のようにアスリーツは肉体のトレーニングを毎日怠らない。

けれども彼らのトレーニングは肉体だけにとどまらず精神にも及ぶ。

過酷なトレーニングだけでなく本場でも勝つには精神も強固でないといけないからだ。

 

スポーツはいつも勝ち負けの世界である。甘えは許されないのだ。

敵は一人ではない、一番の敵は自分自身なのだ。

彼らは常にストレスにさらされている。でもウツなんかになっている暇はないのだ。

彼らの精神は強固である。

彼らに見習うところは大きいかもしれない。

 

アスリーツのようになれとは言わないが、

もし心を変えることができなければ体から始めてはどうだろうか。

とにかく座り込んではだめ。

外に走りに行ったりが向いていないなら、家の整理整頓をお勧めする。

よく成功哲学に、「フットワーク」を増やすことが提案に上がっているが、これがそれである。

フットワークとは、実際に足を動かすことである。

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実は私も週に5日、かなりゆっくりだけれども走っている。もっとも10分から15分だけ。心臓と残りの筋肉を衰えされないように、またリンパ液を流すために実践している。他にヨガもちょっとだけ。体のために実践しているのだが、結果的に精神にも良い影響を及ぼしていると感じている。

運動は養護施設にいた時に習慣づけられたから特に苦にはなっていないどころか、その習慣に感謝しているくらいだ。

孤児はウツになっても助けてくれる人などはいない。可哀想だなんて言ってくれる人もいない。精神を病めば、言われることは「やっぱりね〜。育ちが悪い人は内面に問題があるのよね〜。」と片付けられてしまう。

だから自分で自分の心を強く保つようにしないといけない。孤児には甘えは許されないのだ。逃げたら終わり。真正面から人生と向き合っていかないといけない。それは時として非常にしんどいことで、こんな風にずっと頑張れないと思う時もある。

でも私は何となく感じていることがある。こういう人生を生きたいと自分であらかじめ選んでこの世に生まれてきたのだ。だから向かって行くしかない。向かい風だろうが何だろうが、逃げられないのである。ウツなんかになっている場合じゃあないのだ。

 

でもこんな風に死ぬか生きるかみたいな面持ちで生きていると、やっぱりストレスになる。だから自分の精神を鼓舞してチャレンジに立ち向かうようにはしているけれど、それをなるべく緊張しないようにやることがコツだと感じている。

つまり状況を必死になってコントロールしないようにしている。自分でできることはやって、あとは結果に任せるようにしている。

ゆるく、楽しく、良いことも悪いことも感謝!とこれが私のモットーなのだ。

 

それでも座りっぱなしになると、

ウツにはならなくとも当然やる気も失せ消極的になってくると感じるのです。

 

だから動く!

これしかない!

Emotion (感情)はMotion(動き)

で変えられるのです。

 

さて、雨がやんだので走りに行こうかな?

かなり寒いけど、そんなのへっちゃら!

どんとこい!

 

 

 

 

 

 

 

イラスト:MCL