今年は昨年12月の土星と木星のグレートゴンジャンクションのせいか、自然災害が過去よりさらに多発している。
世界中で水害(かなりひどい!)もあれば、火山爆発もあれば、山火事もあり。(そのほか諸々・・リストできないほど・・・)
それも件数が多い。
その度に思うことは
ものに執着することは無意味であるということ。
歴史を振り返ってみて、貧困との戦いが人類の通ってきた道だった。
だからものを持つことは富裕層に属しているという証拠だったのだ。
ところが19世紀の産業革命を皮切りに、豊かさが一部の上流階級だけでなく一般市民にも扉が開かれるようになってきた。
そして20世紀。
皆物質的な豊かさを目指してますます邁進するのみだった。
物質主義はあれよあれよと推進し、高度成長は美徳で物質的な豊かさを求めることが人生で最も大切な目標でかつ目的と捉える人も増える一方だった。高価なものをより多く所持することが幸せの象徴であったかのようだった。
でも21世紀に入り、人々はその概念に疑問を抱くようになってきた。
消費生活の意味はなんだったのだろうか、と。
ものが溢れていても幸福にはつながらなかったからだ。
かえって物に支配されていると感じる人も多く出てきた。
結局ものイコール幸せではなかったのだ。
多くのものを持つこと。
より便利なものを求めること。
より素敵なものを探究すること。
それには終わりはない。
物欲にも終わりはない。
消費は一時的な興奮をもたらす。
それを幸福と勘違いする人もいる。
でも幸福感とはもっと静かで心の深いところで感じるもの。
今世紀、そのことに気づいた人が出てきた。
大量消費と浪費。
その時代は終わったのだ。
自然災害で、自動車や家具や全てものが流され燃やされ・・・ゴミとなり灰と化す。
このもののために今まで一生懸命働いてきた、と被害者は皆語る。
でも今、全てがなくなってしまった。
泣いても戻ってはこない。
どんなに先端技術を駆使しても自然に人は勝つことができない。
どんなに人間が愚かであるかそれを知らしめているのが自然の脅威なのだ。
虚しいことを追いかけていて人生を終える人もいる。
そして自分の人生の意味はなんだったのか、と自問してみてもすでに遅し。
そうならないようにするには、この瞬間に生き方を変えることが必要になってくる。
生活は質素に、志は高く。
Plain living and high thiking.
と、かの有名な英国のロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースも言っていた。
彼の言葉の真実性が心に深く刺さる人も多いのではないだろうか。