https://blog.with2.net/link/?2024349 /

ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

ミシガン、ダムが破壊される!

洪水

先週の火曜日5月19日夕方ににミシガン州のMidland County(ミッドランド郡)の二つのダムが破壊された。何日も大雨が続いた後のことだった。

ダムの水は溢れかえり農地に住宅地に町にと広がり所かしこ洪水状態となった。

水位はアレヨアレヨと35フィート(10.7メートル)まで膨れ上がり、家という家がみるみるうちに水に飲まれていった。

そのため約11,000人もの住民が緊急避難することになった。

f:id:MimosaPalette:20200524211310j:plain

(出典:https://www.record-eagle.com/state/michigan-flood-displaces-thousands-threatens-chemical-plant/article_93bd97e8-a454-59d7-93ae-f8615bc0bd34.html

ビデオ:
https://www.youtube.com/watch?v=cN3caES-E3w

 

早速、州知事がヘリコプターで現地を訪れたが、コロナ惨事でミシガン州はこの新しい惨事用の予算がない。そのため連邦政府に援助金を要請すると言っていた。

だが連邦政府も経済危機で借金が膨れ上がり状態だ。どうなるのか。

 

避難中も2メートルの距離を取るようになどと知事が心配していたが、この期に及んで、そんなことを考えている人はいないだろうと誰もが思った。家が沈んで自分も水に浸かりコロナなんて頭から吹っ飛んでしまったに決まっている。マスク?そんなものを探している時間はない。一刻も早く逃げなければ。

実際、淀んだ水の方がコロナ菌より危険ではないか。高校の体育館などが緊急避難所となったとが2メートルの距離をしっかり取って全避難民を保護することには困難があったようだ。

知事はコロナの件がまだ終息していないのにこの洪水に直面し、50年に一度の大惨事(コロナ)と、500年に一度の大惨事(洪水)が同時にやって来たと語っていた。

当然すでに2ヶ月以上のロックダウンから経済が悪化していたところにこの事件が起き、州及び地域は大きな煽りを受けている。

そして"Catastrophe upon catastrophe" (大惨事の上にまたもや大惨事)で住民は精神的に打ちのめされた状態にある。

 

ビデオ:

https://youtu.be/cc78HwZha3I

この家族は二階に全てのものを移動させたが充分でなかった。家は流され破壊されてしまった。母親は35年の人生が消えてしまったと語っている。

 

(下の写真)水が引いた後の5月22日。ダウ・ケミカル社の非常に危険な化学物質が流出した恐れがあり住民は懸念している。

f:id:MimosaPalette:20200524212508j:plain

(出典:https://www.courthousenews.com/flood-inundates-toxic-dow-chemical-sites/

自然とは怖いもの

人類はその優秀な頭脳を駆使して様々な先進技術を開発してきた。そして自然を踏破しようとしてきた。自然の前に人間の力など微々たるものであるという事実を決して認めようとはしないかのごとく。

だからことあるごとに、大災害という自然の掟を通して我々がいかに高慢であるかを見せつけてくれる。

今回のことがいい例である。

人は自然に勝つことができない。

 

都会人は自然に対して何かロマンのようなものがありを憧れている人が多い。

けれども自然とは都会人が思っているようなものではない。

自然は偉大で厳しい。

しかしその厳しさをいくら言葉で説明されても、守られた環境で生きている都会人にはいまいち手応えがないのだ。

彼らにとって自然とは、週末に息抜きに出かけていく素敵なところというイメージだろう。

けれども自然とは本当は容赦なく、自然の破壊力を目の当たりにさせることにより、都会人を山や森から都会へと追い返す。

 

自分たちの住んでいるところは森のようなところだ。緑が豊かで空気は綺麗で静かだ。

毎日鳥の声が一日中こだまし、野生の動物も見かけることが多い。

「いいですね〜」と言われる方も多いだろう。

確かにここまではそうかもしれない。

だがこれには続きがある。

下水処理のシステムも自給自足で水道水も引いてないので井戸水である。

天気が崩れると停電になることも多い。電気会社(電気は通っている)に連絡してもこの地域は最低優先地区に指定されていて(人口が少ないから)待てど暮らせど全く来てもらえない。なので住民は皆電気ジェネレーターなるものを所有している。

舗装道路でないため冬に地面が凍結すると運転どころか歩くことさえもできない。よって完全に缶詰状態になる。

虫も多いし、雑草は抜いても抜いても消えることはないから、庭の手入れなどとっくの昔に諦めた。自然と競争しても絶対負けるだけ。

 

日本では玄関の外を綺麗に履き清めることが美徳でいつもそこに気を遣っているように見受けられた。玄関は「いい気」が入ってくるところであるという概念からその習慣は確かに素晴らしい。でもここではそんなことなどどうでもいいのだ。玄関の外には大きな樹木が何本もあり、掃いても掃いても葉は落ちてくる。鳥のフンも落ちてくる。

 

ここに住んで変わったことは、何かをコントロールしようとすることをやめたことだ。

人生にコントロールできることなんて少ない。特に自然をコントロールするなんて全くもって不可能で無駄なのだ。

自然と共に暮らすということは自然のサイクルに逆らわずに人間にとって都合の悪い様々な出来事に目くじらを立てないで生きていくことを意味する。

 

窓から見える野生の花。

他のところに生えて欲しいなあ〜とふと思う。その方が景観が美しいと思う。ランドスケープデザイン的に見るとその方がいいと思う。

でも「移動したい」もしくは「抜いてしまいたい」と思う植物は一本や二本ではない。だから諦めたのだ。

ジャングルにならない程度にメンテナンスをするが後は目を瞑ることにした。

それに植物よりコウモリなどの動物との戦いの方が最優先だ。

 

大体が、植物や動物の生息地に無理やり侵入して来たのは他でもない人間。だから威張っていてはいけない。自然の方が先に来ていたのだから。人間は遠慮して生きるべきと思う。

 

 

イラスト:MCL