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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

断捨離中毒はこわ〜い病気

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断捨離中毒の果てはこうなる。真っ白の部屋にいると気が狂うと言われているけど、これが流行りなのでしょ?

(出典:http://www.leaf2000.ne.jp/blog/?p=2450


断捨離とはなんと気の利いた言葉だろうか。

ものを断ち、捨て、離れる。

ほとんどの人はこれをレベルの差異はあっても知らず識らずと実行しているはず。

 

ものを処分し始めると、その気持ち良さからどんどん処分していくことになる。

断捨離の究極はミニマリズムで、徹底するとやはりこの道に行き着いてしまうのだ。

それはそれでもいい。

でもそこにも問題がある。

 

中毒のようになり本当に全てを処分してしまうケースもある。

それが精神病の一つとしてアメリカで注目を浴びた。生き過ぎた潔癖症で離婚になるケースもある。もちろんその反対のケースもある。

物が視界に入ると落ち着かなくなってくるのだ。

なんかわかる気がする。自分にも経験がある。

 

でも捨てればいいってものじゃあない。

断捨離が実際問題になるのはこんな場合だ。

 

1。環境汚染

2。必要なものまで処分

2。家族のものまで処分

3。断捨離が生きがいになり、究極の人生の目的となる

 

1。環境汚染

確かに家の中に物が少ないと空気だけでなく心もスッキリする感じがする。

清潔な感じがする。

ものを捨てるかどうかは個人の選択なので別にそれでいい感じがするが、

果たして、捨てたものの行き場はどうなるかと、思わず心配してしまう。

 

アメリカにはいらない物を引き取ってくれる店が結構たくさんある。

だからいらない物を必要な人のために寄付しているのだと自己満足している人がほとんどだ。

でも事実は、寄付したもの、特に服などは全体の15%しか再利用されない。

ほとんどはゴミ山に捨てられることになる。

だから環境汚染の原因となる(アメリカは焼却は大気汚染になるからと何でも大地に埋める。でもこれも環境汚染)。

 

2。必要なものまで処分

必要になればまた買えばいいのだからというのが理由だが、と言っても買うためにはお金が必要となる。いつでも買える人はいいけれど、我が家は無理。よって本当にいらないと思うものはリサイクルに回しているが、整頓してしまえるならとってある。

服は”今”着ないものは処分、はない。服は着古せば替えの服が必要で、その時のためにクローゼットにとってある。これを無駄と言えばそうだが、必ず着るとわかっているのでとってある。当然、流行にあまり関係のないクラシックな服を着るようにしている。古くなった服を捨てることは断捨離の鉄則かもしれないが、わたしは捨てない。古着はリメイクして布団の生地にしたりしている。

何が必要か必要でないかは個人で違うから、徹底して捨てることもない気がする。

我が家は本当に今までも使ってないしこの先100%使わないし、好きでもないし価値を見出せないし、再生利用も不可能で、健康にも悪そうなら処分ということで、処分する際の物差しがある。

すっきり暮らしたいが、節約のためには”何でも”捨てることはできないのだ。

 

3。家族のものまで処分。

断捨離にのめり込むようになると、全ての物という物が、気になって仕方がない。

だから娘がいない間に娘の部屋を勝手に片付けた経験がある。娘は物を溜め込むタイプで、部屋を見るたびに処分したい衝動に駆られていた。そしてある日ついに衝動に負け、見事に大量のものを捨ててしまった。

今考えるとこれは間違いであると思う。家族といえども別の人間。

本人が物と決別することを学ばないと一生できるようにならないからだ。

でも断捨離をやっていくと、絶対ぶつかる壁のように感じている。

 

3。断捨離が生きがいになり、究極の人生の目的となることも多々ある。

毎日やっていると確実に中毒になると言える。そしてその手の情報を常にくまなく探していて、ネットで行くところも全部これ。読む書籍もこれ。話す話題もこれ。となる。

他の言葉で言い表すならまさに”断捨離おたく”。

どうやったらすっきりとした部屋になるか、いつも研究に研究を重ね、それでプロになる人もいる。それはそれでいい。そういう情報も大切だと思う。

でも私が思うには、片付けとか断捨離って人生の目的じゃあないですよね。

まさか、これが生き甲斐なんですか?

生きていて一番大切な事柄って「物」じゃあないですよね。

だから一番大切な他の事柄に集中するために「物」を処分しようとしているわけだけど、実はその「物」に振り回されてしまっているように感じるのです。

 

私は物を作ったり絵を描いたりすることが好きな人間。

だから物づくりの道具は処分できない。

世の中には物じゃあなくて「経験」を大事にする、と言っている人がたくさんいる。

でも物を使わない経験と使う経験の二種類があって、使う方が好きな人はどうなるわけ?と思ってしまう。

だから、家にそれなりに収納できていて、足の踏み場があって、見た目がそんなに乱雑でなければ、ここで断捨離は終わり!と終止符を打つことも必要であると自覚するに至った。

捨て始めると本当に終わりがない。何もないところに住むのが気持ちよく楽しいならそれでいいけれど、そこまでしなくても、と思えるならその辺で止めるのも思慮深い決断であると思う。

なぜなら、

生活をして行く限りは、この断捨離を”ずっと”続けていかないといけない。

だからのめり込んだら本当に一生こればかりすることになる可能性もかなり高い。

そんな人生でいいんですか?

 

当然

片付けは大切。

家を綺麗に保つことも大切。

清潔にすることも大切。

でも全てを犠牲にしてやることではないし、

まして人生の使命とか目的とかじゃあないですよね。

だから”適度”が鍵で、

物を圧倒されるほど溜め込む人はですね、

最初から物を買わない、というのが一番賢いんじゃあないか、と思うのです。

実は片付けが苦手で物を溜め込む我が子全員に同じ助言をあげたけど、なかなか実行は難しいよう・・・。

そんな彼らに言えることは

まあ、自分でどうにかしてね〜。

だけ。

 

 

 

 

イラスト:MCL