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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

世の中に振り回されることの馬鹿らしさ

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前庭からの眺め。白い家は我が家の一部で目の前の木は楓の木。この敷地には楓の木が何十本もある。

ニュースというもの

昨日もミシガン州都ランシングで3回目のデモが起きた。

知事に対する抗議だ。

私も実は仕事がなければデモにでも参加したい気分だ。

 

でも騒いでもどうにもならないどころか、

知事はものすごい頑固なので、それじゃあロックダウンはまた延期にするわね、などと言いかねない。

そうすればまた大騒ぎが起きることだろう。ニュースも終わるところを知らない。

 

911同時多発テロ事件の時も東北の大地震の時も、アメリカではどのチャンネルも一日中そればかり流していた。いや1日ではない1ヶ月もそれだったような気がする。

そのため募金も増えたがストレスを抱える市民も急増した。

こんな時には人の心の温かさも表に出ることが多い。人は一致団結して助け合おうとする。だから事件は悪い結果だけではない。

ただ往往にして、人はマリオネットのように社会に踊らされているだけのようにも見受けられる。

 

コロナ惨事のニュースは1ヶ月では終わらない。

実に毎日このニュースを見ていると気が滅入ってくる。

だいたい私が悩もうがどうしようが社会は一気には変わってはくれない。

確かに社会を良くする努力も大切だが、自分の意志だけで早送りすることはできないと感じている。

 

人は大事件が好きだ。問題が大きければ大きいほど知りたくなってくる。そして興味をそそられる。それだけではない、幸せを感じる人もいる。

他人の不幸は蜜の味と言うではないか。

その反対に幸せな人を見ると、ある人々はその人をどうにかして悪く見せて評判を落とそうとしたりもある。

ニュースは悪ければ悪いほど人は磁石のように惹かれて行く。

 

でもこんな風に周りの人や社会の上がり下がりを常に気にして生きて行くことは馬鹿らしいと思えてならない。

もっともそれをクールに対応できる人は賢い人と呼ばれるようだ。

 

一切は空

ソロモン王は「空の空。一切は空である。」と言った。(空は「くう」と読む)

 

解釈は様々あれど、一言で言うなら「人生とは虚しい」ということだ。

なぜ人生が虚しく感じられるかと言うと、生き方に 核がないからだ。

日々、何を食べ、何を着て、何をして楽しむか、そのだけを考えて生きている人が多い。誰にどう思われるかとそればかりを気にして生きている人も多い。

かっこよく生きることや人目を気にして生きている人も多い。

人の噂を餌に生きている人もいる。

社会の動きに振り回されている人も多数を占める。

それがあたかも人生の本当の姿と言う人もいる。

でもそれだけの人生なら当然虚しい。

人生がそれだけなら、生きることになんの価値があるのだろうか。

 

忘れてはならないのは、どんなに楽しんでも、楽しんだ後には死が待っているという誰もが目を背けたい事実だ。

肉体が朽ち果てれば残るものは何があるのだろうか。

全てが消えてしまうなら、今までの努力と苦しみと喜びになんの意味があるのであろうか。

 

まさに人生は空っぽである。

それなのに人はその空っぽの人生をどうにかしようと必死にもがいている。

それはあたかも潜在意識下の虚無感を隠すが如くのようである。

 

それなら、時々社会に大きな事件が起きることは必要なのかもしれない。

それは愚かな人間が目を覚ますためだ。

ということは、人はそれまでは夢を見ているだけということか。

人は高等動物と呼ばれているが、

実は覚醒剤に酔いながらただ現生をさまよっているだけのちっぽけな生き物なのかもしれない。

 

世の中の事件を完全に無視することは難しい。

だが振り回される必要はないのではと思う。

自分の核がしっかりしている人が本当の強い人で、

混乱の世の中にあっても何にも惑わされることがない人なのだ。

 

 

 

 

 

 

イラスト:MCL