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ミモザのアメリカ言いたい放題!

米国情勢下のダブルエコライフ

自分軸とか自分発見は難しい

新幹線の軸。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%B8_(%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E8%A6%81%E7%B4%A0)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:0_Series_Shinkansen_Wheel-05.jpg

自分に正直に生きること

自分が何者で

何を欲しているか

理解すること

なんのために生まれてきたのか・・・

みんなそれが知りたいと思っている。

 

でも・・・

 

その発見に至る過程は思ったより難しいようだ。

孔子によれば、自分とはどんな人間かは、50歳くらいにならないとわからないらしい。

自分はその歳を越したけど

いまだにわからない・・・。😅

 

はっきりわかることって難しい。

 

そうやって人は自分はユニークな存在で何か大きなことをして業績を残すために生まれたと思っている人が多い。

 

だから自分探しをする。

人によってはそれをずっと続ける。😅

 

確かに自分のことをはっきりと理解できればそれはすごいことだ。

でも最近、そうできなくてもいい気もしてきた。

 

なぜなら自分発見が人生の目的ではないから。

そもそも、昔はそんなことはどうでもよかったのだ。

常にサバイバルモードで、今日の食物にありつけることが大切だったのだ。

生き延びること。

それが一番大切で

「人生とはなんぞや?」なんて自問する人もほんの一部の人口だけだった。

 

そういうことを考える人がたくさんいるのは豊かな時代であるからだと思う。

自分らしくユニークに生きたいとか考えるのは

衣食住に困ってない証拠。

 

そんな風に考えなくても

ただやっていて楽しいと思うことをやればいい気がする。

それを長く続けていけば能力も伸びる。

それでそれがその人のユニークさになるのではないだろうか。

それでいいんじゃないだろうか。

 

自分らしく生きるって結構難しい。

そもそも自分らしくって他の人と極めて異なる何か、ということなのだろうけど、

実は100%明確にその人の位置を定めることは難しい。

定めても変わることもあるし・・・。

 

100%とはいかなくとも60%くらいの確信で行動していいのではないだろうか。

やっていけばわかってくることもある。

最初から100%の確信で物事を始めるなら・・・怖くて最初の一歩も踏み出せない。

 

だから楽しいことをする。

それを楽しいと感じているのが自分で

それが自分発見でもあると思う。

でもそれは100%楽しくなくても良い気がする。

 

完璧主義だと自分発見できないのだ。

 

最近の出来事

自分は今までは事務業務プラス翻訳をやってきた。

翻訳は・・面白いと思うこともあったけどそれが今年の1月から90%無くなってしまった。

よって残りは耐えられないほど燃え尽きてしまった事務業務だけ。

結論的に、業務が著しく減ってしまった。

だからいよいよパート勤務か退職かと思っていたそんな時、

ひょんなことに同時通訳の仕事の機会が入ってきた。

しかしそれは物凄い集中力を要するので自分には多分できないと思い断った。

と思ったら同じ会社の翻訳部から人手が足りなから英訳の仕事をお願いされた。

でいつの間にかそれをやることになった。

上司からは嫌なら断っていいいんだよ、と言われたけど・・・

自分が嫌なのか、とてもやりたいのかもわからない。

 

自分軸ゼロ。😰

 

で、やってみたけど、とても母国語とは思えないような文法で書いてくるエンジニアさんの日本語がさっぱりわからない(人のことは言えませんが・・)。

みなさん一流大学院卒なのに、この日本語はどういうこと?

この会社のこの部署のとあるグループの人しかわからないような日本語を書かれても外部の人間には?????で当たり前なのだ。

上司からは「いずれ慣れるよ」と言われたけど、やる気ゼロ。

結局6ヶ月続けて断った。

今は事務だけのパート勤務でこれを3月末まで続けることになっている。その後はもう退職。

 

実はこの間、他にも色々転職のチャンスがあった。

 

夫の職場を通して隣町でコミュニテイアートセンターの責任者にふさわしい人を募集しているが人が見つからないと連絡があった。

応募してみたい気もする。

夫には「好きなことをすればいい」と言われた。

 

しかし、そんなこと言われても・・・。

今さら何が好きかなんてわからない。😅

 

子育てでエネルギーを全部使い果たしその過程で自分を見失った人間にそういうことを聞かれても答えに困る。

 

同時に、ここから車で5時間のところにある寄宿舎制の芸術高校で美術の先生を募集していることがわかった。

 

ああ、それはやってみたい。

でもそれは単身赴任職で、よく歩けない夫を見捨てては行けない・・・。

 

ああだ、こうだ、と条件をつけて結局チャンスがきてもそれに賭けない自分が悪い。

でも・・・本音はただ家の敷地を耕しているだけじゃあ物足りない。

 

しかしそれくらいしかできない。

家族が足枷となって身動きが取れない・・・。

 

でも20年前なら勝手にやっていたかもしれない。

勝手にやっていればよかったとも思う。

でもしなかった。

 

あんなに犠牲を払った子供たちは母親の犠牲なんてなんとも思っていないのだから

自分の好きなように生きるべきだったのだ。

 

ほんと・・・自分自身に呆れて何も言えない。

 

自分軸はあってもよく見えない。

ちょっと見えても諦める。

やってみないとわからないし、実際やれるかもわからない。

だからやっぱり最初から諦める。

 

これじゃあ・・・どうしようもない。

そう思うのだ。

 

でもそういう人が多い気がする。

 

 

 

 

 

 

 

イラスト:MCL