こんなに落ち葉がすごいのに、
仕事が忙しくて落ち葉の片付けをする時間がない。
自分の業界では今がかきいれ時なのだ。
人が休んで浮かれている時が多忙な時。😅
世の中の人々
退職してから元職場の同僚の数人に連絡を入れたけど、返事はこない。
何回連絡しても来ない。
もしかしてこれって・・・無視?
ああ・・・あの時代は終わったということか・・・。
自分はその後再就職せず自営業をやっている。(正式にはフリーランスと呼ぶ)
彼らが理解できない世界に行ってしまった自分は
多分裏切り者なのだ。
普通の人にとって、仕事とはどこかに雇われてお給料をもらうことらしい。
退屈なルーテインをどんなに嫌でも生きるためにみんなやるものだと信じている。
それ以外の生きる道はないと信じている。
だから、私のやっていることで生活が成り立つわけがなく
失敗すればいいと思っている人も多くいるかもしれない。
みんな応援してくれると思ったのに・・・
やっぱりアメリカだって出る杭は打たれる。
組織の中にいる時は一緒に耐えよう!とか言って優しくしてくれる。
でも、そこから出ることは彼らを見捨てたことになるらしい。
一緒に耐え忍ぶなんてね、金輪際ごめんこうむる!と宣言したことになる。
その世界から逃げた自分は・・・やっぱり・・・裏切り者なのだ。
しかし今さら遅い。😅
一つの人生に終止符を打ったら、もう振り向くことはやめよう。
古い人間関係は切り捨てる。
自分の成長を阻む人とは付き合わない。
所詮住む世界が違うのだ。
彼らは生きていければそれでいいと思っている。
マスローの欲求5段解説の一番下に留まっていることに疑問を抱いていない。
ただひたすら生きること・・・
それは中世の人もやっていた。
紀元前も同じ。
縄文時代なんてまさにみなそれ。
ただ生き長らえることのために生きている。😅
皆さんは今、どの段階におられるだろうか?
生理的欲求が満たされればそれでいい?
しかし生理的欲求が満たされれば、次が安全確保、と
一段階ごとに他のより高いものを求めるのが人間というもの。
自己実現とはその一番上にある。
そして、上図にはないけど、その上にあるのがより高い精神的な超越。
つまり・・・聖職者の段階。
それは、生きる本当の意味を追求すること。
生きる本当の意味とは、生き続けることではなく、どのように生きるかで、
精神的にどこに達するか・・・なのだと思う。
超越した人間にとって、どんな服を着て、どんなものを食べて、どんな娯楽を楽しむとか
そういうのは浅い世界かもしれない。
(だから自分はまだその段階には至っていない・・・😅)
人生はパンのみに生きるなかれとキリスト様が言われたように、
人生にはそれ以上のことも大事に思える。
でも、確かにパンを買うお金もないなら、その一番下のサバイバルレベルで頑張るしかない。しかしパンを買うことに困っていないなら、最低限の暮らしに困っていないなら、より上を目指すのが人間であるような気がする。
またより上を目指すことによって、一番下からはい出れることにもつながる。
でもそれをしようとすると自分の足を引っ張ろうとする人も当然出てくる。
なら、そういう人には未練さっぱり別れを告げるしかない。
古い人間関係を捨てれば、必ず新しい人間関係が待っている。
それはウキウキするようなことだ。
終わったものには見向きもせず前進のみ。
さて、仕事仕事〜〜〜!😅
え?中東のニュース?
ウクライナ?
バイデンがイランに喧嘩を売った?
まあ・・・
自分一人がニュースを見ても世界が変わるわけでもないし
こういうのはいつの時代もあったと自分に言い聞かせ、
自分の人生を一生懸命に生きるのがいいと思う。
シンプルに生きることが幸せの道なのだ。
シンプルに生きるっていうのは、自分のやりたいこととすべきことに集中してあとは無視することでもある。
そうしないと周りに振り回されることになる。
え?知識を得ることも大事?
それはそうだけど・・・全てのことに精通することは無理で、それに意味もない気がする。
それをしようとすると頭が疲れ、精神が疲れ、発狂し、ウツになりかねない。
周りの相反する様々な情報に振り回されて自分の声も聞こえなくなる。
やっぱり、もっとも大切なことは少ししかない気がする。