では、わがやの節約度に値するレベルはというと・・・
Thrifty とFrugalがおそらく値する。
日本語では「質素」がふさわしい。
夫もわたしの職場でもこんな風に生活している人は誰もいない。
おそらく彼らから見ると我が家はCheapskate(けちん坊)なのだろう。
実はこういうケチ哲学は夫から学んだ。
夫には頭の先からつま先まで、このケチ精神が染み付いているのだ。
と言っても夫の父親ほどではないのだが。
舅はケチのケチのそのまたケチを行く人だった。
要するにケチのプロである。
それが度を越すことも多々あり、周りの人をイラつかせていた。
わたしもこういう舅も見て、
姑がかわいそうに!
最低!
とか言っていた。
でも物事は全て二面性を持っているというではないか。
舅の経済観念はすごい!
彼は典型的な大家族大貧乏家庭の出身だった。
家族はもともと貧乏だったのに、大恐慌が訪れますます貧乏になってしまった。
そんな環境だったため、自立精神と経済観念がいち早く植えつけられた。
舅の姉の日記には「クリスマスだけどサンタは我が家には来ないって知っている」
と記されていた(泣けてくる・・・)。
それほど貧乏だったので家族全員が一致協力していて、わがままをいう子供などいなかった。
「こんなうちに生まれて来たくなかった」などという子供も一人たりともいなかった。
「神様のお計らい」によりこの家に生まれて来たわけだから、自分の置かれた環境で一生懸命頑張るという姿勢だったようだ。
舅もそんな子供の一人だった。
どんな人にも優れた面があるというように、この経済観念に関しては、身近な人で彼の右に出る人は未だかつてお目にかかったことはないと言っても過言ではない。
舅は高校生時代を通してパン屋でアルバイトをしていた。
そのお金で
なんと!
17歳という若さで自分の家を買った!
そしてその家の価値が上がるのを見計らって丁度いい時期に売ることにした。
その後その不動産の売り上げを自分の専門学校の学費などに当てた。
学問が得意でなかった彼は、(絶対食いっぱぐれない)パン屋になることにした、と言っても経営者ではない。
少ないお給料を切り詰め、一生涯、預金と投資に費やした。
二度目の家は自分の手で建てた。その際、銀行から借りたお金はゼロ。
その後も借金はゼロ。
お金を貯めて(最低)必需品を買い、壊れたら全て自分で修復した。
流行などとは程遠い生活を余儀なくし、実際に、そういう一時的で周りの人が皆飛びつきそうなホットな製品を追い求めることを馬鹿にしていた。
ほころびた服を着るというようなことはなかったが、家の中にも立派なものは何もなく、(もしものために)なんでも取っておくので、結構ゴミ屋敷家していた。
誰がみてもどうしようもない「貧乏男」そのものに見えた。
だから、当然こんな人に財産があるなどと思う人はどこを探してもいなかった。
だが、
彼は億万長者として市民の大多数より早く退職した。
ここまで上り詰めるには並大抵の意志と頑固さがないとできない。当然家族は迷惑と思ったこともたくさんあっただろう(と聞いている)。
ただ、それがいいか悪いかは別として、彼から学ぶことはたくさんあるように感じている。
かと言って我が家が彼の模範に完全に従ったかというとそれも違う。
若い時は「やりすぎじゃない」と、怪訝な顔をしていた。
それが今では、「グランパはすごい!」と尊敬されるまでとなった。
(アメリカでは本物の金持ちこそ質素!と言われている)
天国にいる舅がこれを聞いて喜んでくれているかな?
ちなみに、舅の家族は子供の数がなんと
8人!
男性5人で女性が3人だった。
男性は全員自力で学校に行った。そのうち二人は修士号を取り、二人は学士号を取り、二人が専門学校を出ている。一人は公認会計士で会社経営者。一人は大学教授。一人は高校教師。最後の二人はパン職人として就職していた。皆自分の家を持ち、家族を持ち、福祉にお世話になったことはない。全員退職しているが、退職金は十分にあるようだ。沢山の孫に囲まれて幸せそうである。
こんな家族のところにお嫁入りした私は、結局すっかり洗脳されてしまったようだ。
それだけではない
質素節約を結構楽しんでやっている。
なぜならこれはかなり頭を使うし、クリエイテイビテイが必要とされるからだ。
だから。
節約は美徳。
節約は賢明。
ついでケチを生きる事はすごーく楽しい!
と大声で世界に向かって叫びたい。
是非おすすめ。